横浜銀蝿って人気ありましたよね。
こわかったし、カッコ良かったし。

そして、歌もよかったですね。
あの、ツッパリスタイルが独特でした。
強烈な個性を放っていましたね。
彼ら以上に、個性という言葉が似合う人たちはいないと思います。

ということで今回は、横浜銀蝿について迫ってみましょう!

 

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横浜銀蝿のプロフィール

横浜銀蝿
よこはまぎんばえ

活動期間
1980年 - 1983年
1998年 - 現在

 

とにかくあのリーゼントの髪形にサングラスは凄いインパクトでしたね。
そこにライダー革ジャンもカッコ良かった。

これは当時出現してきた、「ツッパリ」「暴走族」といった時代ともマッチして、
1980年代前半に若者の間で一躍人気者になったのです。

その強烈な存在感で、デビューから現在に至るまで、
多くの人々、そして多くのアーチストに影響を与えています。

また、「銀蝿一家」という弟分グループなどもできました。

そして1983年に「解散」しましたが、1998年に活動再開して現在も活動を行っています。

1979年9月21日に翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成しました。

翌年の1980年にアルバム『ぶっちぎり』を発表しました。
シングルは『横須賀Baby』を発表しました。

1983年12月31日に解散しましたが、
1988年に、翔、TAKU、嵐の3人でバンドを再結成しました。

ジョニーの現在は?

 

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Johnny
ジョニー

本名:浅沼 正人
あさぬま まさと

ジョニーはメンバーの中で一番人気があった人です。
ジョニーは横浜銀蝿を早くに脱退したのですが、横浜銀蝿一のモテ男でした。

バレンタインデーにはトそうとうチョコレートをもらいました。
その量は、トラック何台分もの量だったようです。

解散後もソロ活動を継続しましたが、あまりうまくいきませんでした。
家族もいたので、家族を食べさせるために1988年にキングレコードに就職しました。

ディレクターとして中山美穂、的場浩司らの音楽を手がけました。
そして2002年からは「ベルウッドレコード」のプロデューサーに就任しました。

横浜銀蝿が1998年の再結成した時には、レコーディングや写真撮影に少しだけ活動に参加しました。
しかし、本業が忙しいのでライブには一切参加できませんでした。

しかし、就職してからの彼の仕事を順調なようで、
2013年7月にはなんと、キングレコード上席執行役員と兼務で、
関連会社のベルウッドレコードの代表取締役社長にまで就任してしまったのですから驚きです。

この道でとても成功されているんですね!

ジョニーはこう語ります、
「早めにリタイアして、仕事ではない純粋な音楽をやりたい。」

 

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嵐の現在は?


らん

本名:田宮 淑行
たみや としゆき

グループの中で最年長者でリーダー。

実は翔の実兄です。
キャンディーズで大人気になったランこと伊藤蘭の大ファンだったために、
ここから「嵐」(らん)と名付けたそうです。

2001年の第19回参議院議員通常選挙に立候補しましたが、落選してしまいました。
2004年には脳梗塞になってしまい、開頭手術を受け、
この時に小脳の半分を切除しました。

懸命なリハビリをして、奇跡的に復活を遂げました。
2006年6月9日の結成25周年記念コンサートでは、デビュー曲「横須賀Baby」でドラムを披露しています。

2009年には黒船テレビを立ち上げています。
2013年には自身のバンド、『THE CALVER』を結成して、ボーカルを担当しています。

大変な病気にもめげずに復活されて、本当に凄いですね!

翔の現在は?


しょう

田宮 将吉
たみや しょうきち

横浜銀蝿のメインボーカリスト。
1990年代後半にはタレントとしてもよくいテレビに出ていました。
特に『ものまね王座決定戦』によく出演していました。

現在は、タレント業は控えて、音楽を中心に活動しています。

2015年くらいからは、実家で実母の介護をしながら、
音楽活動をされているという情報があります。

TAKUの現在は?

TAKU
タク

本名:秋葉 卓志

TAKUは音楽家として知られています。

作詞作曲編曲家として大活躍しています。
銀蝿一家の楽曲や三原順子、中森明菜、
岩井小百合、おニャン子クラブといった歌手の楽曲も手がけています。

三原順子はTAKUが手掛けた作品でオリコンベスト10に入りました。
その年の第33回NHK紅白歌合戦にも出場しました。、

TAKUが一番乗っていた時には、
オリコンチャートベスト20以内に3曲同時にランクインしていた時期があります。
素晴らしい音楽の才能の持ち主ですね!

弟分の杉本哲太と嶋大輔

杉本哲太について

「横浜銀蠅」とGOOGLEに入れると、「弟分」という検索候補が出てきます。

そこでこれについて調べてみました。

「横浜銀蝿」の弟分バンドには「紅麗威甦(グリース)」というバンドがありました。

実はそのメンバーの中には俳優として活躍されている、
杉本哲太がヴォーカルとサイドギターとして参加していました。

杉本哲太はその当時既に、俳優としてデビューもしていました。

 

嶋大輔について

あの俳優の島大輔も横浜銀蝿の弟分でした。
「横浜銀蝿」のシングル「ツッパリハイスクールRock’n Roll(試験編)」では、
嶋大輔も「横浜銀蝿」ファミリーの「銀蝿一家」のメンバーとして参加していました。

そして1982年には、『男の勲章』でソロ歌手としてもデビューをしたのです。

嶋大輔のこの年の勢いは止まりませんでした。
石立鉄男の主演ドラマ『天まであがれ!』に出演しました。
しかも主題歌が嶋の歌う「男の勲章」が使われて、大ヒットしました。

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感想(2件)

まとめ

 

このように多くの人に影響を与えた横浜銀蝿です。

特に『「ツッパリハイスクールRock’n Roll』は名曲でしたね。
当時の幼稚園生まで知って歌ってました。

そして色々あった今でもこうして活動しているのは嬉しいですね。

これからも、横浜銀蝿を応援していきましょう!

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