「タイガーマスク」として空前のプロレスブームを巻き起こした、
初代タイガーマスクの佐山聡。
彼は天才と言われていましたが、
1980年代のサマーファイトシリーズ最終戦の寺西戦を最後に引退しました。
今回はみんなのヒーロー、タイガーマスクだった佐山聡について調べました
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プロフィール
名前:佐山聡 (さやまさとる)
リング名:タイガーマスク
生年月日:1957年11月27日
出身地:山口県下関市
職業:プロレスラー、総合格闘家、武道家、思想家(掣圏真陰流興義館総監)
血液型:B型
身長:173cm
デビュー:1976年5月28日
学歴:山口県立水産高等学校1年中退
所属:リアルジャパンプロレス
経歴
格闘技は中学生の頃から始めました。
高校生1年で中退し、新日本プロレスに入門します。
デビューは1976年5月28日の魁勝司戦で、その後猪木の付き人になります。
1978年にメキシコ・EMLLに派遣され、
リングネーム「サトル・サヤマ」で活動し、NWA世界ミドル級王座を獲得しました。
1980年にイギリスに行き、ブルース・リーの従妹「サミー・リー」として活動し、大変な人気でした。
翌年日本に帰国し、新日本プロレスで「タイガーマスク」として活動を始めます。
1982年WWFジュニアヘビー級王座、NWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得します。
アメリカ遠征にも参加し、勝利を果たします。
1983年に引退します。
2年4カ月間のシングル通算戦績は、155勝1敗9引き分けという驚くべき戦績です。
引退後、「タイガージム」というジムを設立します。
UMFに正式入団し、ジムの名前を「スーパータイガージム」と変更します。
1985年9月2日大阪府立臨海スポーツセンターでの試合で、前田選手からセメントを仕掛けられます。
前田の精神状態を懸念した佐山はレフェリーにアピールして試合を止めさせます。
この件がきっかけで、佐山は10月11日にUMFを脱退表明します。
看板選手を失った団体は活動休止に追い込まれ、
佐山以外の選手は新日本プロレスと業務提携する事になります。
1994年に新日本プロレスからの要請で10年振りに試合に参戦します。
1997年に「タイガーキング」というリング名で猪木と試合をします。
1998年猪木設立団体UFOに代表取締役として参加しますが、離脱し掣圏真陰流を設立します。
2005年に、「リアルジャパンプロレス」を立ち上げ、天龍源一郎と対戦します。
2011年に、「レジェンド・ザ・プロレスリング」というイベントを行います。
2015年3月20日後楽園ホールでの曙戦後、心臓の痛みを訴え安静にしても改善しなかった為、5月に手術を受けます。
診断は狭心症で、いつ突然死してもおかしくない深刻な状況だったそうです。
2016年復帰戦を行いましたが、身体の動きがついていかなかったようです。
その後リングには立っていません。
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初代タイガーマスクは何故引退したのでしょうか?
アニメから出て来たままのタイガーマスク。
その人気は絶大なものでした。
レプリカマスクも良く売れていたようです。
今でもタイガーマスクを超えるレスラーはいないと言われています。
その様なすごい人気レスラーが一体どうして引退したのでしょうか。
実は、引退の理由として所属団体の新日本プロレスが関係しているのだそうです。
また、漫画「タイガーマスク」の原作者、梶原一騎氏が逮捕された事も影響があったそうです。
という訳で、あまり良い感じの引退ではなかったようです。
初代タイガーマスクのデビュー試合動画
タイガーマスクとしてのデビュー試合は、イギリスから帰国後で、
1981年に蔵前国技館で行われたダイナマイト・キッド戦でした。
アニメのキャラクター、「タイガーマスク」はアイドル並みの人気を誇っていました。
そんな佐山聡は現在は何をしているのでしょうか?
初代タイガーマスクの現在は?
2011年11月に初代タイガーマスク基金を設立し、理事長に就任しました。
2014年11月には一般財団法人化されました。
活動内容は、孤児や恵まれない子供たちへの支援活動、そして社会教育事業を推し進め、慈善イベントを開催したりしています。
2015年に狭心症の為手術を受け、2016年の復帰戦以降はリングには立っていません。
市街地型実戦格闘技という名目で創設された武道、掣圏真陰流の復興に力を注ぎ、
2010年10月29日「武道掣圏」の旗揚げ興行が後楽園ホールで行われました。
金髪や入れ墨のある選手は出場が認められず、礼儀作法を備えた人間を育て日本を復活させる、という目標を持つ佐山の世界観現わされています。
私生活では、人気絶頂だった頃に結婚していて、聖斗という名前の息子さんもいるようです。
歴代タイガーマスクは?
初代タイガーマスク:佐山聡
二代目:光沢光晴
生年月日:1962年6月18日
2009年6月13日46歳で試合中に亡くなる。
プロレス団体NOAHを立ち上げました。
三代目:金本浩二
生年月日:1966年10月
自分のスタイルに合わないという事で、1年でマスクを脱ぎました。
2015年プロレス版ワールドカップの時に一時的に復活。
四代目(原行タイガーマスク):山崎佳宏
生年月日:1970年10月
初代タイガーマスクの弟子でした。
1995年7月15日にデビュー戦を行う。
まとめ
みんなのヒーロー、タイガーマスク。
いつまでも活躍して欲しいですね。
でも、その中で最も印象に残ったのは、
やっぱり佐山悟のタイガーマスクだったように思います。
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