とんねるずって人気ありますね!

昔はお笑いタレントなのに、そのかっこよさから
まるでアイドルのような人気を保っていました。

現在は、ある意味大御所といった感じですが、
もう、何十年もこの芸能界において高い人気を保っています。

そして、あの昭和の歌姫、日本の歌姫である
美空ひばりともとても仲が良かったと言います。
ちょっと意外な組み合わせですが、どんな関係だったのでしょうか?

 

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とんねるずのプロフィール

とんねるずメンバー

石橋貴明(1961年10月22日生まれ)

木梨憲武(1962年3月9日)

2人とも東京都出身

帝京高校の同級生であった石橋貴明と木梨憲武が、
1980年にりコンビを結成しました。

「とんまとのろま」か「とんねるず」というどちらかのコンビ名を提案されたのですが、
彼らは「とんねるず」を選んだのです。

『お笑いスター誕生』で1982年に見事グランプリを受賞したのです。

その後は『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』などで
その破天荒な芸風が受けて、アイドル的な人気を獲得したのです。

そして極めつけは1987年に放送が開始された『ねるとん紅鯨団』です。
この番組でさらにその人気を高めたのです。
深夜に放送されていたにも関わらず、
高視聴率を記録する大人気番組になったのでした。

この番組からは、
「ツーショット」「ねるとんパーティー」といった流行語が生まれていったのです。

このとんねるずは、お笑いコンビなのですが、
ボケとツッコミに役割分担がされていないのが特徴です。

また、スタジオ内を走り回ったり、他のタレントをいじったりと
破天荒な芸風が売りのお笑いコンビになっていったのでした。

美空ひばりのプロフィール

美空 ひばり

みそら ひばり

1937年5月29日生まれ

1989年6月24日没(52歳)

神奈川県出身

ニックネームはお嬢

言わずと知れた日本の歌姫、昭和の歌姫です。

美空ひばりの歌のうまさは子供の頃から出来上がっていました。
1947年に、美空ひばりの母は、ひばりを連れてあの古賀政男のところへ行きました。

そして古賀政男の前で歌うと、次のように言われたのです。

「もう、立派に出来上がっているので、もうのど自慢の段階じゃない」
「歌手になるなら頑張りなさい」

ものすごい逸話ですね!!
さすがは天下の美空ひばりですね。

美空ひばりの歌は戦後の日本、昭和の日本を救ってくれましたね!
彼女の歌声でどれだけ多くの人の心が救われたことか。

本当に素晴らしいとしか言いようがありません。

 

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とんねるずは美空ひばりとマブダチになった経緯

とんねるずがあの美空ひばりとマブダチだったという話です。
でも、どうして若手時代のとんねるずが、
当時大物の美空ひばりとマブダチになれたのでしょうか?

それはとんねるずの二人がまだ26歳くらいの頃でした。
フジテレビの特番で美空ひばりと共演したのがきっかけで、すっかり仲良くなったということです。

その当時、昭和の歌姫である超大物の美空ひばりですが、
ごく親しい一部の人達だけが『お嬢』と呼ぶことを許されていました。

そんなことを全く知らない石橋貴明は次のように言ったのです。

「俺たちもお嬢って呼んでいい?」

「今日から、俺たちはマブダチでしょ?」

それに対して美空ひばりは、こう質問したのです。

「マブダチって何?」

そして石橋貴明がマブダチというのは、すごく仲の良い友達であることを説明すると、
美空ひばりは次のように言ったのです。

「そうね、タカとノリはマブダチだからお嬢って呼んでいいわ。」

こういった経緯で、とねるずは美空ひばりと見事マブダチになったのでした。

でも、美空ひばりって懐が深いですね!
それに美空ひばりも若いとんねるずから慕ってもらえて、
ある意味嬉しかったのではないでしょうか?

とんねるずと美空ひばりとの伝説とは?

そんな感じですっかり美空ひばりと仲良くなり、マブダチにまでなったとんねるずです。
また、息子の加藤和也がとんねるずのファンだったこともあり、どんどん親交を深めていったのでした。

とんねるずのオールナイトニッポンにまで、
あの美空ひばりがゲスト出演するほど、その仲は良いものだったのです。

そして、その当時とんねるずは歌も歌っていたのです。

それはあの『雨の西麻布』という曲でした。
それを聞いた美空ひばりは、その曲をとても気に入ったそうです。

そしてこの曲を書いた人に、私も曲を書いてもらいたいと熱望したのです。
「雨の西麻布」の作者は、作詞:秋元康、作曲:見岳章のコンビだったのです。

そしてこの二人が美空ひばり生前最後のシングルとなる、
「川の流れのように」だったのです。

ということで、とんねるずの存在がなければ、
あの名曲「川の流れのように」はこの世に存在していないことになります。

「川の流れのように」はとんねるずと美空ひばりの、
不思議な縁によって作られた曲なのかもしれません。

とんねるずのその他の交遊録も

とんねるずは、友人の多さでも有名です。

石橋の交遊録

また、現ソフバンクホークスの監督である工藤公康も石橋の家に遊びに来るようです。

そして工藤静香や小泉今日子も親しい間柄です。

そのほかの歌手でいうと、久保田利伸は石橋ととても仲が良いです。
それから、玉置浩二も石橋と遊ぶために沖縄ロケにまでついてきたそうです。

 

木梨の交遊録

木梨はゴルフを通して、中井貴一や佐藤浩市と交流を持っています。
また、吉田英彦や武豊とも仲が良いそうです。

木梨はフミヤとずっと仲が良く、のライブにも出演したりしています。

 

大物に好かれるとんねるず

あの矢沢永吉も「食わず嫌い」に出演しました。
矢沢にさえとんねるずの番組になら出てもいいと言わせたくらいです。

それにあの井上陽水でさえとんねるずには心を許しているそうで、
石橋から頭を叩かれるツッコミでさえOKなのだとか。

まとめ

とんねるずと美空ひばりって凄いですね!

こんなエピソードがあったなんて、さすが昭和という時代は違います。

本当に素晴らしい時代であると言えます。

今流行りの「コンプライアンス」という言葉なんてなかった!
やっぱり良くも悪くも、色んなものを大きく包み込んでくれる時代、
それが昭和だったような気がします。

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