高田みづえって人気ありましたよね!

キレイだったし、美しかったし、
本当に素晴らしい人気を誇っていました。

 

子供心にも、あんなに美しい人っているんだなって思いながら見てました。

でも、当時の大関若島津との電撃結婚で、
突如として芸能界を引退したのは世間を驚かせました。

 

あの大人気だった高田みづえは現在どうしているのでしょうか?

すごく気になります。

 

スポンサーリンク







ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

3人の購読者に加わりましょう

高田みづえのプロフィール

NAME 高田みづえ(たかだ みづえ)

REAL NAME 日高みづえ

DATE OF BIRTH 1960年6月23日

HEIGHT 153.8cm

BLOOD TYPE A型

BORN 鹿児島県揖宿郡頴娃町

OFFICE バーニングプロダクション

OCCUPATION 元歌手・タレント、相撲部屋女将

 

 

身長が153.8㎝というのは、けっこう小さかったんですね。

画面ではもっと大きく見えました。

ただ、あの華やかな芸能界にいた人が、
突然結婚して相撲部屋の女将になるというのは、
本当に勇気のいる大きな決断だったんだと思います。

仕事としては全く別のことで、相撲部屋の女将というのは、
とても大変で地味な仕事です。

それをやり続けるというのは、本当に凄いことです!!

 

高田みづえのデビューから結婚まで

高田みづえってどんな感じでデビューしたのかが気になります。

フジテレビの「君こそスターだ!」というオーディション番組で、
1976年に第18代グランドチャンピオンになり、
次の年の3月25日に「硝子坂」でアイドル歌手としてデビューしました。

 

連続して「硝子坂」「だけど...」「ビードロ恋細工」「花しぐれ」4曲のヒット曲を出し、
第19回日本レコード大賞・新人賞・日本歌謡大賞・放送音楽新人賞、
FNS歌謡祭最優秀新人賞など、多くの賞を受賞しました。

 

もう、破竹の勢いでしたね!!

 

高田みづえ、柳原郁恵、清水由貴子の3人は、
フレッシュ3人娘として知られていました。

 

1977年、1978年と連続でNHK紅白歌合戦にも出場しました。
8年間の歌手生活中、紅白歌合戦には7回出場しています。

初めてのコンサートは、1978年3月27日に大阪のフェスティバルホール、
そして30日に東京渋谷公会堂で行いました。

 

オリコンベスト10入りは全部で6曲あります。
その内4曲は、連続オリコンベストを果たしています。

硝子坂 9位
だけど... 6位
ビードロ恋細工 9位
恋しぐれ 10位
私はピアノ 5位
そんなヒロシに騙されて 6位

 

「8じだヨ!全員集合」、「ドリフ大爆笑」にゲスト出演しコントを演じたり、
歌手業の他にテレビタレントとしても活躍していましたが、
1985年2月に、若島津六夫という当時人気のあった
イケメン力士と婚約を発表し、芸能界を引退しました。

 

ファイナルコンサートは、1985年6月1日に東京厚生年金会館で、
2日に大阪フェスティバルホールで開催されました。

 

高田みづえサヨナラ企画として、
「夜のヒットスタジオ」に6月5日に若島津関と一緒に出演し、涙ながらに自分のヒット曲を歌いました。

この番組出演が最後の芸能活動でした。

 

理想の女性は高田みづえ、とインタビューで語った若島津関は、
当時「南国の黒豹」と呼ばれており大変人気の力士で、
漫画「キャプテン翼」の主要キャラクターにも「若島津健」と名前がつけられたくらいでした。

 

二人の出会いは雑誌のインタービューの対談で、そこからお付き合いが始まりました。
結婚式と披露宴は、1985年9月27日に
ホテルニューオータニで行われ、テレビでも生中継されました。

 

1987年7月場所を最後に若島津関は引退し、
高田みづえはおかみさんとして、
松ケ根部屋(現在の二所ノ関部屋)を切り盛りするようになります。

 

 

高田みづえの現在は?

芸能界を引退後、20年振りに2007年5月11日放送の「Dのゲキジョー」に出演しました。

それからは、様々なバラエティー番組に出演します。

「JNN50周年記念ハイパーバラエティウィーク・8時だョ!全員集合」
「カスぺ!芸能界の告白大ヒットに隠された壮絶人生SP!」
「行列のできる法律相談所・明石家さんま2時間スペシャル」

 

2015年8月3日の「私の何がイケないの?」には、娘のアイリと一緒に出演しました。
2015年8月8日には、引退後31年振りの音楽番組
「思い出のメロディー」に生出演し、「硝子坂」と「私はピアノ」を歌いました。

 

娘のアイリは、自分の母がアイドル歌手だったのは知っていましたが、
物心ついた頃には母親はすでに引退しており、
歌手としての高田みづえを知らずに育ちました。

 

その娘に、歌手としての自分の姿を見せ、
今後の芸能活動に役立ててもらう為、一日だけ歌手として復帰したのです。
娘と一緒に、2016年2月2日に「徹子の部屋」に出演しました。

 

復帰の可能性は?

現役の時と変わらない歌声を「思い出のメロディー」で披露した結果、
レコード会社から、歌手デビュー40年の節目として再デビューしないかと持ち掛けられていました。

しかし、「チャンスがあれば...」と答えたそうです。

 

本来は10年間は芸能活動を続けたいと
思っていた高田みづえですが、結婚の為、8年で引退しました。

 

また、若島津の入院の為、芸能界に戻る事は出来ませんが、
回復された折には復帰される可能性もありますね。

 

スポンサーリンク




元若島津関の健康状態は?

 

2017年10月19日に、船橋市内の温浴施設から
自転車で部屋に帰る途中に転倒し、倒れているところを発見されました。

 

転倒した際に、側頭部を強打して陥没骨折し、
頭部に血が溜まり、一時は意識不明に陥りました。

 

船橋市内の病院で4時間半に及ぶ手術を受け、その後は回復に向かいました。

自転車で転倒する前も、
温浴施設の風呂場でふらつき倒れたという事を目撃されています。

 

自分の健康を気遣い、普段から毎日1時間以上歩いていたそうです。

温浴施設に向かう前は、普段通り弟子たちの稽古を見守っていました。

 

10月25日時点ではICU内で眠っており、
指先が少し動いたりの反応を示したり、小康状態を保っていました。

 

病院に毎日通う高田みづえは、
全国のファンや後援会の皆から寄せられる激励や応援に感謝しています、
本人も頑張っているので、ずっと応援してください、と述べていました。

 

高田みづえの子供について

息子は勝信

NAME 日高勝信

DATE OF BIRTH 1986年12月19日

BLOOD TYPE A型

HEIGHT 185cm

OCCUPATION 俳優・タレント

BORN 千葉県

 

 

とてもイケメンですね!
どちらかというと、お父さん似ですかね。

2011年から2014年までは俳優としても活動したことがあります。
『華和家の四姉妹』や『彼岸島』に出演していました。

その後は芸能界を引退して、教育事業の関連会社に勤務しているようです。

 

 

娘はアイリ

NAME 日高愛里

DATE OF BIRTH 1989年1月22日

HEIGHT 162cm

OCCUPATION 女優・モデル

OFFICE Grick

BORN 千葉県

 

 

こちらも美人ですね!

大学生の頃から芸能界で活躍することを夢見ていて、
ファッション雑誌『EDGE STYLE』(2011年8月号)から、レギュラーでモデルとなります。

その翌年からは女優として舞台にも活動の場を広げて、
2世タレントとしてバラエティー番組によく出演しています。

 

 

高田みづえのヒット曲

硝子坂

 

島武実作詞、宇崎竜童作曲。

1977年3月25日に、高田みづえのデビューシングルとしてユニオンレコードから発売される。
1977年2月25日に木ノ内みどりの同名アルバムの
タイトル曲として発表されたが、アレンジが大幅に異なる。

 

発売から1カ月半でオリコントップ10に入り、
31万枚売り上げ、「私はピアノ」に次ぐ2番目のヒット曲となった。
30年振りに2015年8月放送の「思い出のメロディー」で歌った。
由紀さおり、荒木由美子は1977年にアルバムの収録曲としてカバー。
長山洋子、神園さやかも後年にカバーしている。

 

 

私はピアノ

 

サザンオールスターズの楽曲。
作詞作曲は桑田佳祐、編曲は松井忠重。

1980年3月21日にリリースされる。歌謡曲を意識した作品。
ボサノバ風の曲調で心地よいメロディー。
歌詞にはラリーカールトンやビリージョエルも登場する。
1980年7月25日に、高田みづえがカバーし、
テイチクレコード(ユニオンレコードレーベル、現在のテイチクエンタテインメント)から発売される。
オリコントップ10入りを果たし、最高位は3位まで上がり、
50万枚近い売り上げで高田みづえの最大のヒット曲となる。

 

 

秋冬(しゅうとう)

 

この楽曲は、堀江童子の作曲と中山丈二の作詞のコンビによって手掛けられた作品。
ちなみにこれは、中山丈二の遺作。

高田みづえは1984年にこの曲で、『第35回NHK紅白歌合戦』
5年連続7度目の出場をしたが、1985年6月に芸能界から退いたために、
この曲での紅白出場が高田みづえ最後の紅白での歌唱となった。

この曲は業界内でも人気が高く、
テレサテンや中条きよし、そして渥美二郎にまでカバーされている。

 

 

まとめ

高田みづえは素晴らしいアイドルでした。

わずか8年間という短い芸能生活でしたが、
唯一無二の存在感を示してくれました。

そして引退から30年以上たっても時々話題になるというのは、
彼女がタレントとして素晴らしかったからです。

また、ぜひ復帰してほしいと多くのファンが望んでいると思います。

スポンサーリンク







おすすめの記事