北野さき、ビートたけしの母親なんです。

世界の北野、お笑いタレントビートたけしを育てた
その教育法が度々注目を集めています。

とても温かくて、懐の大きい
素晴らしい女性だったようです。
まさに、昔のお母さんって感じですね。

ということで今回は、北野さきに迫ってみましょう。

 

スポンサーリンク







ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

5人の購読者に加わりましょう

北野さきのプロフィール

北野さき

きたの さき

旧姓は小宮

明治37年3月5日生まれ

千葉県市原市出身

北野さきは、千葉県の裕福な家庭に生まれました。
しかし、その裕福な実家が破産したために、
13歳のころ東京に出てくることになったのです。

そこでは大きなお屋敷のトイレ掃除を担当することになったのです。
同じようにそのお屋敷で働く人たちは、
料理や裁縫をしていたのですが、さきは母親も兄弟もなくしていたために、
誰も教えてくれなかったので、トイレ掃除をするしかありませんでした。

あの時代はお裁縫ができると待遇面が良かったらしく、
さきはそれを習うために、配られたおやつを差し出すかわりに
周りの人に教えてもらったそうです。

それからしばらくして、将来の夫となる菊次郎の母、
三味線の師匠の北野うしという人物と出会ったのです。

この北野うしは、さきの性格のすばらしさに惹かれて、
菊次郎と結婚するように勧めたのです。
この北野うしという人は、人を見抜く目がありますね!!

その後、さきは菊次郎と結婚しました。
そして昭和22年には北野武を産んだのです。

武の名前にこめた意味は、
「竹のようにどんなこんなにも耐えて、すくすくと育って欲しい」
という想いがあったようです。

北野さきの名言集

名言1 実るほど、こうべを垂れる稲穂かな

名言2 自慢、高慢、馬鹿がする

名言3 一杯の酒に城傾く

名言4 モノをもらって怒る人はいない

名言5 人は、欲しい時にモノをくれない

このように素晴らしい、深みのある言葉を残しています。
さすがは、世界の北野を育てた母親ですね。

本当に素晴らしい言葉を残しています。

北野家の3つの家訓

その1 おせっかい

その2 やせ我慢

その3 もったいない

 

「おせっかい」

昔の東京にはおせっかいがあったそうです。
面倒見の良い人がいて、自分の子供も他人の子供も
一緒に育てているような人がいたそうです。
このようにお互いに面倒を見合って、良い意味でのおせっかいがあったようです。

たけしがたけし軍団を率いて、軍団の面倒を見ているのはこういった教えがあるからかもしれません。

 

「やせ我慢」

どんなに貧しい生活であっても、1円2円に振り回されてはいけないということです。

以前にたけしが「並んでまで飯が食えない」と言っていました。
食事をするのに、どこかのお店の行列に並ぶことはできないということでした。

それはきっと、母親の影響だと思うと、兄の北野大と話していました。

「うちは貧乏だったけど、貧しく育てて覚えはない」という母の言葉だったそうです。

 

「もったいない」

お米は「八十八」と書くから、
それだけ手間をかけて作られたものだから、
粗末にしてはいけないという北野さきの教えです。

もちろんこれまでにたけしは、食レポの仕事のオファーも来ていました。
しかし、それを一切受けなかったのは、他人が作ったものに対して、
「不味い」というのは失礼だからだそうです。

 

スポンサーリンク




ビートたけしとのエピソード

母親の北野さきとビートたけしとの間には、
とても心温まるエピソードが残っています。

それを知っている人も多いと思いますが、ここで紹介していこうと思います。

 

その1 大学に学費を払い続けた

北野さきは、とても教育熱心な母親だったようです。
子供たちが絶対に貧乏にならないように、教育には力を入れていたそうです。

それも手伝って、ビートたけしは見事、明治大学に合格したのです。

しかし、学業にはあまり興味がなく、
やる気がなくなってしまったために、3年目に退学したのです。

しかし、いつでもたけしが大学に戻っていけるように、学費を払い続けていたそうです。

 

その2 たけしの芸で絶対に笑わない

ビートたけしが芸人として成功して、たくさんテレビに出るようになりました。
しかし、たけしのことを心配するあまり、
芸を見ても絶対に笑わなかったそうです。

その代わり、新聞のテレビ欄には、
たけしが出演する番組の全てに蛍光ペンが引かれていたそうです。

 

その3 何度もたけしにお金をせがむ

たけしがテレビに出て売れ始めると、
母親のさきが色々とお金をせがんできたのです。

「友達とどこどこにいくから金をくれ」

「服が欲しい」

「病院に行くから金が要る」

このように色々と理由をつけて、たけしに金をせびっていたのです。

このようにせがまれてたけしは、怒っていました。

しかし、たけしがあのバイク事故で入院しているときに、
母のさきが看病に来て、預金通帳を手渡したのです。

そこには、それまでたけしにせびってきたお金と、
さらに自分の年金から差し引いたお金が入っていたのです。

その額はおよそ1000万円にもなっていたようです。

芸人は不安定な職業でいつまでも続くとは思っていなかったし、
もうこの事故でお前もダメだろうから、後はこの金で生きていけと言われたそうです。

それを見てたけしは、母の深い愛情にとて感謝して、わんわん泣いたそうです。

 

その4 たけしの家賃を払い続ける

大学を辞めて芸人の道を志したたけしでしたが、
全く売れずに、家賃を払えない状況でした。

半年以上も滞納したのですが、アパートの大家さんは何も言ってこなかったのです。

それでたけしはここの大家さんはなんていい人なんだろうと思っていたそうです。

しかしある日、たけしはその大家さんに会って、こう言われたそうです。

「実は君のお母さんが私のところに来て、
どうせうちの息子が家賃が払えないのは分かっているので、
私のところに来てください、私が払いますからと言われた。」

このようにして北野さきは、ずっとたけしの家の家賃を払っていたそうです。

まとめ

なんて温かい母親なのでしょうか!

本当に素晴らしい人ですね。
こんな温かい愛情に包まれたから、
たけしは素晴らしい芸人になったのかもしれません。

そして世界の北野を生んだのは、
北野さきの深い深い愛情だったのかもしれません。

これなら世界一のマザコンになるのも分かりますね!

スポンサーリンク







おすすめの記事