2019年7月20日の「激レアさんを連れてきた」では、
なんとも凄い人が出演します。

それは實川欣伸という人なんです。
紹介される理由は、2000回以上も
富士山に登ったことがあるということなんです!

凄く気になる人なので、調べてみることにしました。

 

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實川欣伸のプロフィール

實川欽伸

じつかわよしのぶ

1943年7月3日生まれ

神奈川県出身

趣味、特技 登山

法政大学卒業

職歴 紳士服メーカー、住宅販売、東平商会、富士サービス

神奈川県に生まれた實川欣伸は、
京浜工業地帯で生まれ育ちました。

生家からは小さくではありますが富士山がいつも見える環境で、
子供の頃から富士山の絵をいつも描いていたのです。

時は高度成長まっただ中で、
これからバブル経済を迎えようという1970年に、
法政大学法学部を卒業して、まずは紳士服メーカーに就職しました。

そのから住宅販売会社、東平商会と渡って、
その後は富士サービスで務めあげて、2005年に退職したのです。

富士山がぐっと近い静岡に移ってきたのは、1978年、35歳の時です。
1985年實川欽伸の時に、せっかく富士山の近くにいるのだからと、
實川欽伸の一家5人全員で富士山に登ってみたのです。

当時、實川欣伸が務めていた会社には、中国から研修生が来ていて、
せっかく日本に来たのだから富士山に登りたいと言われるようになったからです。

そういった研修生を連れて、年に5,6回は登るようになっていったのです。

そうやって富士山を何度も案内しているうちに、
實川自身が富士山の魅力にとりつかれていったのです。

そして2009年にはなんとあのAKB48の大島優子と他6名で、
天気も悪い中みんなで登頂したこともあるそうでう。

富士山と言えば、實川欣伸ということでこの仕事の依頼が来たみたいです!

 

エベレストにも挑戦

このようにして富士山の虜になった實川欣伸ですが、
そうなってくるとさらに高い山に登ってみたくなりました。

そこであのエベレストに3回挑戦したのです。

その結果はというとまだ登頂成功はしていないのです。
雪崩、地震、凍傷と言ったアクシデントに見舞われてしまったためです。

でもそれは本当に仕方ないですね。
それよりも命が一番大切です。

その凍傷も大事には至らなかったようで、なによりです。

 

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實川欣伸の家族

實川欣伸の家族は5人家族で、
妻、息子2人、娘1人となっています。

みんな一家の大黒柱で、富士登山で有名な實川欣伸のことを
とても誇りに思っているみたいです。

ここまで實川欣伸が富士登山にのめり込めたのも、
家族の理解もあったからだと思います。
家族の理解とサポートなくしてこういった活動は無理だったかもしれません。

實川欽伸の記録

年間最多登頂回数 248回

31日間 62回登頂

富士登山不眠不休で4連続登頂

富士登頂1000回達成(2010年)

日本山岳協会特別表彰(2011年)

富士登頂記録更新 1672回 

世界6大陸制覇(エベレスト以外)

凄すぎますね!
これはもうなんと表現したらいよいのか分かりません。
よくそこまでの体力と気力があるなと思ってしまいます。

實川欣伸の年収は?

色々と調べてみましたが、實川欣伸の年収は公開されていませんでした。

76歳という年齢もありますので、
年金を15万円くらい受けっている可能性があります。

ただ、普通の登山家の場合ほとんどは、
登山家としては収入がないのが普通です。

そのために、アウトドアのスクールを経営したり、
アウトドアスクールのインストラクターをしたり、している人がほとんどです。
または、自分の体験を本にしたり、講演会を開いたりして収入を得ています。

ということで、實川欣伸もこのようにして年金以外の収入を得ている可能性があります。

まとめ

實川欣伸のパワーって凄いですね!

これからも3000回、4000回を目指して
ぜひぜひ頑張っていって欲しいと思います。

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