もう、何十年も日本中を笑わせてくれている桂ざこばさん。

 

落語家としてのしっかりとしたベースをもとに、
長年テレビなどでも大活躍しています。

 

しかし、2017年に脳梗塞で倒れても、
約1年後に不屈の精神で仕事に復帰してくれました。

私たちは彼のあの面白いトークが聞けることができて幸せです。

 

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桂ざこばのプロフィール

桂 ざこば(かつら ざこば)

前名は桂 朝丸(かつら ちょうまる)

本名 関口 弘(せきぐち ひろむ)

上方の落語家、タレント

1947年9月21日生まれ

大阪府大阪市西成区出身

米朝事務所所属

上方落語協会会員

 

 

 

子供時代

小学校2年生の時に両親が離婚し、大阪府警察に勤めていた父親に引き取られ、旅館暮らしが始まりました。
ところが、父親は鉄道自殺で亡くなってしまいます。結局母親に引き取られ、母、姉との三人暮らしになります。
名前も小島弘から母親の実家名の関口弘になります。

日本橋中学校時代は、家計を助ける為に、新聞配達、靴磨き、アイスクリーム売り等、色々なアルバイトをしました。
しかし、段々学校に行かなくなります。
ある日学校をさぼって千日劇場に行き、そこで三代目桂米朝の「浮世床」を観ます。

米朝との出会い、そして入門

千日劇場で桂米朝の落語を観てすぐに弟子入りを志願しますが、
米朝から、学校をサボるようなやつは噺家にはなれない、とつきはなされます。

どうにもあきらめきれず、何日も米朝の元に通った所、
ある日米朝の家に呼ばれ、落語が出来るかどうかと聞かれます。

うろ覚えで「浮世床」を披露した所、その場にいた桂小米が弟子に取る事を勧めます。
米朝は「これからの噺家は高校くらいは出てなあかん」と高校を卒業する事を勧めますが、
欠席日数が多すぎる為、進学できる高校が見つかりません。
中学校の教師に相談しても、「お前が入れる高校はないぞ」と言われてしまいます。
配管工事会社に一か月間勤めた後、1963年5月に入門を許されます。

落語家デビュー

米朝に高座名を「桂朝丸」と決めてもらい、家族同然の内弟子生活を送ります。
初舞台は京都拘置所で、「子ぼめ」を演じました。入門3か月後でした。
入門4カ月後に、千日前の自安寺で、2代目桂春潮を中心に、

小米、笑福亭光鶴、3代目笑福亭仁鶴らと「上方ばなし若手会」を始めます。

テレビ出演、独演会

この頃は大宝芸能に所属しており、

1965年10月から放映された「お笑いとんち袋」にレギュラー出演するようになります。
入門3年目の1966年10月には、「朝丸自身の会」という独演会を開きました。
吉本興業の花月劇場チェーンや松竹の角座にも出演しました。

1974年には、「オールナイトニッポン」に出演、

その後全国ネットの「ウィークエンダー」のレポーターに起用されます。
活動の拠点を大阪に戻し、サンケイホールで「桂朝丸独演会」を行います。
1981年から1997年にかけて、計15回の独演会を行いました。

桂ざこば襲名後の活動

兄弟子の枝雀の提案により、1988年4月に、2代目桂ざこばを襲名します。
初代の墓参りもして、襲名を報告しました。
襲名披露落語会は、東京でも行いましたが、
これは上方では初めての事でした。

 

1994年、会長選出方法を巡り執行部と対立していた枝雀一門に追随する形で、
上方落語協会を脱退しましたが、
10年後の2004年には復帰します。

 

2006年時点では、テレビ、ラジオ含めて9本のレギュラー番組を持つ人気タレントでした。
2007年7月7日、京都の南座で、噺家生活45周年、還暦記念講演「桂ざこばの会」を開催します。
寄席小屋「動楽亭」を、2008年12月に西成区山王のマンション2階に開設します。

 

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入院

2017年5月27日に、左中大脳動脈閉鎖症、塞栓性脳梗塞と診断され、入院します。
2か月後の7月29日に、病院に外出許可を得て、
神戸オリエンタル劇場において、「ざこば南光二人会」に出演します。
8月1日に退院し、4日に「そこまで言って委員会」にゲスト出演し、
4月27日には「そこまで言って委員会」に復帰しました。

家族

娘が二人、孫も二人います。
長女は一般人なので名前は公表されていません。

次女の関口まいは1981年㋀11日に箕面で生まれました。
タレント、女優として活動をしており、現在太田プロダクションに所属しています。
特技は声楽、ネイルアート、書道と多才ですね。

 

2010年3月25日、まいに第一子が誕生、9月には長女にも第一子が生まれました。
ざこばさんは非常に孫たちを可愛がっていて、その様子は娘のブログにも書かれています。
落語会にも孫を登場させた事もあり、朝丸を孫に継がせると発言した事もあります。

カラオケの十八番は「娘よ」で、涙を流しながら歌うそうです。
子煩悩、孫煩悩なざこばさんで、微笑ましいですね。

ざこばさん、レギュラー番組に復帰

2017年5月に脳梗塞で入院してからはレギュラー番組は休業していましたが、
2018年4月27日に「そこまで言って委員会」の収録に出演し、
11カ月ぶりにレギュラー復帰を果たしました。

「ざこば師匠の登場です」と司会の辛坊治郎にアナウンスされ、大きな拍手に迎えられました。
紺色のスーツを着たざこばさんもうれしそうに、笑顔で拍手に答えました。

 

 

上方落語協会の次期会長候補が笑福亭仁智に決定した事にからみ、
「新会長は落語はお上手なんですか」
と辛坊治郎がざこばさんに質問すると、すかさず「おれより上手い人はいない」。

さずがざこばさん、うまく切り返しましたね。
「辛坊さんが上手に振ってくれて、めちゃくちゃ楽でした」と収録語の談話。
体調については、自分としてはまだ完璧ではないが、
周りの皆が入院前と変わらない、と言ってくれるので、ほっとしている、と述べています。

米朝の息子であり、ざこばさんの弟弟子の桂米団治は、
ざこばさんも所属する米朝事務所の社長に就任。
先に役員だった、南光、ざこばさんを追い抜いての就任でした。

2018年4月29日の放送分にも初めて出演しました。
米団治は、内弟子だったざこばさんや月亭可朝に子守りされて育ったそうです。

小文枝襲名披露にざこばさん登場

2019年3月12日に、「桂きん枝改メ四代桂小文枝襲名披露公演」が
なんばグランド花月で行われ、ざこばさんが登場しました。

まず「うれしいですわ!」と述べ、故米朝師匠が「あいつはええやっちゃ、
高座を見たらわかる」と小文枝を褒めていたと語ったかと思うと、
「全部うそやがな」とひっくり返し、笑いを誘いました。

その上、自分の孫ときん枝の子供が小学校3年生の同級生で、
いつもドつかれている、とクレームをつける始末。
全くお茶目なざこばさんですね。
また、四代目小文枝を三代目と言い間違えたのですが、「これが脳梗塞やから」とざこばさん。
大阪締めを最後に任されるのですが、
「俺でええのんか」と一旦は言ったものの、しっかりした口上で締めました。

ざこばさんは囲碁が好き

ざこばさんは、囲碁が好きでよくTWITEERでも触れています。

まとめ

脳梗塞から見事に復帰してくれて本当に良かったです。

またあの「ざこば節」が聞けて、日本国民は幸せです。
今後とももっともっと日本中を笑いの渦に巻きこんで欲しいですね!

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