萩本欽一って面白いですね。
特に昭和の萩本欽一は毎週何本ものレギュラー番組を抱えて、
それぞれの視聴率が20%越えをしていたので、
合計で視聴率100%男と言われていました。

そのくらい高い人気を誇っていたのが彼だったんです。
でも人気があったからこそ、
ライバルたちや若手芸人たちとの人間模様があったようです。

ということで、今回は萩本欽一について迫ってみたいと思います。

 

スポンサーリンク







ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

萩本欽一のプロフィール

萩本 欽一

はぎもと きんいち

1941年5月7日生まれ

東京都出身

164㎝

65㎏

芸能界の先輩後輩を問わず広く慕われており、
愛称は「欽ちゃん」と何十年も呼ばれています。

萩本欽一の番組から育ったタレントたちからは、大将とも言われています。

萩本欽一の大法的なギャグは「なんでそーなるの!」であり、
独特な「欽ちゃん走り」でも大きなインパクトを残しました。

視聴率100%男

コント55号で人気いが大爆発しました。
ちょうどその頃時は1971年、欽ちゃんはソロ活動を始めたのです。

それは、日本テレビ『スター誕生!』の初代司会者でした。
この番組で司会を受けるにあたって、
自分は司会ができないから、誰かきちんんと進行役ができる
女の子をつけて欲しいと要請したのが、アシスタントの走りだったと言われています。

欽ちゃんはソロでも安定した人気を誇り、
それ以降もソロでレギュラー番組も手掛けていったのでした。

翌1972年には『欽ちゃんのドンといってみよう!!』が始まったのです。
このラジオ番組はどんどん人気が上昇して、1975年には
『欽ちゃんのドンとやってみよう!』として公開テレビ番組となったのです。

また『オールスター家族対抗歌合戦』では、
欽ちゃん特有の素人いじりも編み出していったのです。

 

スポンサーリンク




ビートたけしとの関係

萩本欽一とビートたけしの関係でいえば、
萩本欽一のほうが先輩であり、先に超売れっ子になっていました。

たけしはある意味萩本欽一に憧れているという部分もあります。

あのビートたけしが自分のことを弟子たちに殿と呼ばせていたのは、
萩本欽一が自分の番組から育った人たちから、大将と言われていたこと、
その影響でもあったとも言われています。

ただ、たけしは萩本欽一をライバル視していたために、
どうしても引きずり下ろしたいと考えていたのです。

また、たけしは萩本欽一のイメージを『いい人』と分析しており、
こういったいい人の人気が続くようだと、
ワルのイメージをまとっていたたけしには不利な状況になってしまうと、
大きな危惧を抱いていました。

しかし、たけしは萩本欽一に対して、大きな畏敬の念を抱いているのは確かなようです。

その証拠に、ある記者が漫才ブームまっただ中で、
ツービートとして大活躍していた頃のたけしに、
漫才ブームが終わったらどうするのか聞いたそうです。

そうしたらたけしは神妙な面持ちで、次のようにと答えたのだそうです。

「欽ちゃんの真似をしようと思ってるんだ。」

欽ちゃんファミリーをまねしてできたのが、たけし軍団だったようです。

また、当時の税金対策についても、こう答えていました。

「萩本さんの真似をするんだ」

このように言って、節税対策もしていたようです。

とにかくたけしは、萩本欽一を心から尊敬していたので、
どうしても引きずり降ろしたい対象だったのかもしれません。

ドリフターズとの関係

実は1981年に、ドリフターズが大ピンチに陥ったことがあります。
志村けんと仲本工事が賭博で逮捕されたために、
ドリフターズ自体がテレビに出れなくなるかもしれない事態に陥ったのです。

「8時だよ全員集合」の打ち切りを、リーダーのいかりや長介も覚悟していたと言います。

だが、当時最大のライバルだった萩本欽一が、いかりや長介の元に来てこういったのです。

「絶対に辞めちゃいけない。
辞めるんだったら僕も一緒に8時だよ全員集合の最終回に出て、
一緒に芸能界を引退する」

この言葉に心底感動したいかりや長介ははドリフターズの存続を決意したと言います。

当時、最大のライバルであったドリフターズの存続を希望するというのは、
普通の人の考え方ではありません。
それはやはり天才の考え方です。

そういった部分があったから、
萩本欽一はこれだけの成功を収めることができたのだと思います。

ダウンタウンとの関係

ダウンタウンも、東京に進出してきたころ、
萩本欽一の番組で使ってもらったことにとても感謝しているようです。

萩本欽一の名言

僕がまわりから「才能がない」と言われながらも
コメディアンになるのをあきらめなかったのは、
自分に悪いと思ったから。

一度は「絶対コメディアンになる」と決意したわけだからね。

簡単にあきらめちゃったら、そう決断したときの自分に申し訳が立たないでしょ。

 

 

「石の上にも3年」って言うけど、みんな何だかんだいって
3年ぐらいは辛抱してると思うの。

だから3年じゃ、しょせんは人と同じ程度のものしか身につかない。

本気で何かを成し遂げようと思ったら、5年は辛抱しなきゃ。

 

 

「得意なこと」と「やりたいこと」は一致しないんだよ。

だから、まずは「得意なこと」を見つけなさい。
それが成功すれば「やりたいこと」はきるようになってくるから。

 

 

運は正面から来ない。
必ず後ろから来る。

まとめ

さすが萩本欽一ですね!
さすがは時代を作った男です。

やっぱりそういう人の言うこと、考えることって一味違いますよね。

確かに高齢ではありますが、
これからももっともっと活躍してほしいと思います。

スポンサーリンク







おすすめの記事