ジュディオングってきれいでしたよね!
凄い美人でした、
それに可愛くて、素敵な笑顔でした。
あの名曲『魅せられて』なんて最高でしたね。
あんなきれいな人がこの世の中にいるのかと、
思ってしまうくらい素敵な人でした。
歌もうまいし、きれいだし、色っぽいし。
ということで今回は、ジュディオングに迫ってみましょう。
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ジュディオングのプロフィール
ジュディ・オング
帰化名:翁ジュディ
1950年1月24日(69歳)
台湾出身の歌手・女優・版画家
台湾出身
上智大学国際学部卒
血液型A型
こうやって写真で見てもきれいですね!
本当に、こんなべっぴんさんがいるのかと思って見ていました。
でも台湾生まれのジュディオングですが、
どうやって日本でスターになれたのか気になりますよね。
実は、ジュディオングが2歳のとき、
1952年に父の仕事(米軍GHQ報道工作)の都合で一家で日本にやってきたのです。
小学校は東京にある東京中華学校で学びました。
小学校で中国語(北京語)を勉強していました。
そして学校から帰ると、家庭教師について英語を勉強していました。
ということで、かなり裕福な家庭だったんですね!!
実はこの家庭教師このが、Judyという英語名をつけてくれたのでした。
しかし、家族の間では台湾語語(閩南語)を使っていたのです。
東京中華学校を卒業した後は、アメリカンスクールに通って英語をさらに高めました。
そしてさらに上智大学ではスペイン語を勉強して習得しているという才色兼備の女性です。
確かにジュディオングも頭のいい人だったのですが、
そういった環境を与えたジュディオングの家庭も教育熱心だったんですね!
そのために、日本語、英語、中国語、スペイン語、広東語という
6言語を話すことができるというのですから驚きです。
デビューは1966年に「星と恋したい」という曲でした。
また、1967年には「たそがれの赤い月」がヒットしました。
その後も、色々と曲を出していました。
そして1970年代にはいると
『おしどり右京捕物車』、『賞金稼ぎ』、『必殺からくり人』などの時代劇にも出演しました。
ちょうどその頃、デビュー当時の演歌調の曲から
もっとポップス的な曲を歌うようになっていったのです。
『魅せられて』の大ヒット
そして1979年にはついにあの曲で、大々大ヒットを飛ばしたのです。
この曲は200万枚を超えるヒットとなり、日本中が『魅せられて』に魅せられたのです。
ジュディオングのエキゾチックさと色気、
また1979年の日伊合作の映画『エーゲ海に捧ぐ』とも
うまくマッチして、日本中を席巻したのです。
もちろんこの曲でNHK琥珀歌合戦にも出場しています。
この時は、ジュディオング自身がデザインした、扇状に広がる袖がついた衣装も話題をさらったのです。
ジュディオングは『魅せられて』を歌うときは、
今でもこの衣装を着ています。
また、この大掛かりな衣装がその後の小林幸子や天童よしみといった、
派手な紅白の衣装のおおもとのインスピレーションとなっていったのです。
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ジュディオングは結婚しているの?
これだけ美しい人ですから、モテモテだったのは確かです。
ただ、現在は独身になっていますが、一時期結婚していたことがりました。
1992年5月に鈴木洋樹という人でした。
仕事とは美術商をしていました。
ジュディオングはダンスができない人とは結婚したくないと言って、
鈴木洋樹にダンスを習わせたとテレビ番組で語っていました。
しかし、二人の結婚生活は長くは続かず、1997年5月に離婚しています。
離婚理由は、芸能人お決まりの「すれ違い」というやつです!
きっとお互いに忙しく、一緒に過ごす時間がなかったのだと思われます。
ちなみに2人の間に子供はいませんでした。
ジュディオングは版画もやっている
ジュディオングの版画との関わり合いはかなり長いものがあります。
それは1975年に棟方志功門下の菊地隆知と井上勝江に師事したのが始まりでした。
そして1993年に個展を開催しました。
ジュディオングの版画は日本だけでなく、
台湾各地、ドイツ、フランスといった海外でも評価されているのです。
本当にいろんな分野に才能のある人なんですね!!
羨ましくなります。
まとめ
ジュディオングってきれいですね!
今でも、こんなにきれいなんですから、
まだまだモテていると思われます。
ジャニーズの若いだれかと噂が出たらいいですね。
東山紀之と森光子のような関係で。
それはともかく、
これからも大いに活躍を期待できるのは間違いなさそうです。
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