ビートたけしって凄い人ですよね!

これだけ厳しい芸能界に何十年も居続けるだけでなく、
その中でもずっとトップを走り続けているのですから。

本当に凄いですよね。
しかも、まだまだ全然面白い。

そしてたけし軍団を率いて、みんなの面倒を見ています。

ということで今回はビートたけしの伝説について迫ってみたいと思います。

 

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ビートたけしのプロフィール

ビートたけし

本名は北野武

きたの たけし

1947年1月18日生まれ

東京都足立区出身

168㎝

日本お笑い界のビッグ3の1人

映画監督としても知られる

最初はビートきよしと、ツービートというコンビを組んでいました。
1980年代に起きた漫才ブームで大人気となりました。

お笑いだけでなく、1990年くらいから司会業や映画監督も始め、
そのなかには20年以上も続く番組も存在するのです。

映画監督や『平成教育委員会』という番組では、
本名の北野武を使っていますが、そのほかの番組ではビートたけしを使います。

この違いについて本人は学術的な分野では本名を使って、
芸人として出る場合にはビートたけしを使うと述べています。

また落語の場合には、立川梅春という名前を使っています。

そしてビートたけしはこれまでに、色々な番組を成功に導き、
映画でも国際的な賞を受賞するなど数々の実績を上げてきています。

ビートたけしの伝説

これだけの成功を収めてきたビートたけしですので、
多くの伝説を持っていることも事実です。

本当に素晴らしい伝説ばかりです。
たけしってやっぱり人間性もすごいんですね!

 

浅草に恩返し

ビートたけしは浅草の店にいた時に、その店の人にも、
そしてその辺を歩く酔っ払いや普通の人にもお金を配っていたそうです。

それを見た弟子が、これは無駄遣いしすぎだと言ったところ、
こう言いました、「俺は浅草に恩返ししてんだよ!」

 

ポール牧に恩返し

ビートたけしは売れない時代に、あのポール牧に色々と世話になっていました。
仕事を紹介してもらったり、ご飯をごちそうになったりと。

その後は、たけしが爆発的に売れてジャンジャン稼ぎ出したのです。
その時の状況というのは、ポール牧は古い芸人タイプなのでテレビで活躍できませんでした。

そこでたけしは、ポール牧のことをテレビでどんどん言及していったのでした。

「こんばんはポール牧です。」

「ばかやろう、お前はポール牧か?」

「なんどそれは、ポール牧の衣装か!」

このようにポール牧のことを散々テレビで口にしたら、
ポール牧にテレビからも仕事が来るようになったのです。
それはたけしなりの精いっぱいの恩返しだったのです。

それからしばらくして、あるテレビ番組で共演した後の飲み会で、
たけしがお代を払おうとすると、ポール牧はこういったのです。

「たけちゃん、それはまだ10年早いよ」

そしてポール牧は自分で2人分払って、たけしをタクシーに乗せたのでした。
そのタクシーの中でたけしが作った曲が「浅草キッド」だったのです。

 

アリtoキリギリス

アリtoキリギリスがまだ売れてない頃でした。
たまたま同じ店にいたビートたけしが彼らのお会計まで払って店を出たのです。

それを知った二人は慌てて店を出て、たけしのロールスロイスを止めて
「お会計ありがとうございました!」と頭を下げると、
パワーウインドーを下げてたけしがこういったのです。
「売れたら使ってね」

 

浅草の店

ある時、朝のワイドショーで浅草の古い定食屋が取材されたのでした。
その店には浅草出身の芸人たちのサインが飾られていたのです。

しかし、レポーターが一番目立つところが空いているのを発見したのです。

そこでどうしてここが空いているのかと店のご主人に尋ねたところ、
ここにはビートたけしのサインを飾りたいんだと言ったのです。
だからずっとここを空けて待っているんだと。

それから数時間後、店のドアが開いたのです。
そこにはあのビートたけしが立っていました。
そしてこう言ったのです、「サインはどこに書けばいいの?」

 

お化けが出たから番組をドタキャン

1980年代の人気番組である「俺たちひょうきん族」で、
何度か撮影をずる休みしたことがあります。

撮影を休むことはタレント生命を絶たれてしまう大問題に発展することがあるのですが、
「お化けが出たから」と言って、それを笑いに変えてしまうのが凄いところです。

 

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たけし軍団のエピソードも

たけし自身のエピソードもすごいのですが、
たけしは軍団も持っていますので、彼らのエピソードもすごいものがあります。

 

松尾坂内のエピソード

たけし軍団に入ると、任される仕事はたけしの付き人兼運転手なのです。
この役目はものすごくきつい仕事だとされています。

特にたけしがソロの芸人としてピークを迎えていた1980年代には、
極度の忙しさを運転手も一緒に経験したのだそうです。

あの松尾坂内も運転手を務めた一人で、信じられない証言をしています。

この時、松尾坂内は2日間不眠不休で送迎をしていたのですが、
帰宅後には疲労のあまり、テレビや冷蔵庫などの
電化製品から慰められたと語っています。

 

つまみ枝豆とのエピソード

つまみ枝豆がとても若い頃でした。
ビートたけしの運転手をしていた時代があったのです。
その時に、不意に好きな車の話になって、枝豆がベンツと答えると、
それはいくらぐらいするんだとたけしが聞いたのです。

そして枝豆が「800万くらいですかね」というと、
次の日封筒を渡されたのだそうです。

そこにはなんと現金800万円があったのだそうです。

つまみ枝豆は恐縮してこう言いました。「本当に、いいんですか?」

そこでたけしは、「こういうのは買いたいときに買うのが一番なんだ。いいから買え!」

そして枝豆は一週間悩んで考えたのですが、
やっぱり自分で稼いだお金で買いますと言って、それをたけしに返したそうです。

それを受けてたけしは、次のように言いました。
「お前ならそうすると思ってたよ。」

 

たけし軍団の引っ越し

たけし軍団の誰かが引っ越しをするときでした。
「引っ越し祝いなにがよい?」とたけしが聞いたそうです。

「洗濯機が欲しいです」と言ったら、後日新しい家にたらいと洗濯板が届けられたのです。
これはしゃれだなと思いつつたらいの裏を見たら、
封筒が入っていてこれで洗濯機買えと書いてあったそうです。

 

ラッシャー板前のエピソード

ラッシャー板前の結婚式での祝辞でたけしはこう言ったそうです。

「私には実の子供が二人おり、その子たちを愛しています。
しかし、たけし軍団と呼ばれるこいつらのほうが、かわいいと思うことがあります。」

この時、出席していた軍団は全員泣いていたそうです。

まとめ

でもやっぱりビートたけしって凄いですね!

芸人としても凄いのですが、
それよりも人としてものすごいですね。

温かく懐が深い人なんですね。
だからああやって多くの人がついてくるのだと思います。

こんな師匠がいたら心から憧れてしまいますよね!

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