クールスってカッコよかったですよね。

黒をベースとした色で、全てをカッコよく決めてました。

バイクも乗って、バンドでも歌って、
どこまでかっこいいんだと思ってしまいます。

しかもその中からは、舘ひろしと岩城滉一という
凄い俳優も輩出しましたからね。

ということで今回は、クールスについて迫っていきましょう。

 

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クールスのプロフィール

メンバー

佐藤秀光(ドラムス)
ジェームス藤木(リードギター)
村山一海(ボーカル)
濱野和男(サイドギター)
大久保喜市(ベースギター)
後藤直樹(サポートメンバー・ギター)
和田ジョージ(サポートメンバー・ギター)

旧メンバー

舘ひろし
水口晴幸
横山剣
萩野知明
山崎廣明
(岩城滉一・バイクチーム時代)

結成地は東京の原宿

活動期間 1975年〜現在

 

とにかくかっこいいですね!
40年以上前にこのカッコよさですから、それは相当目立ったと思われます。

確かに今から見れば古いのは古いんですが、
それでも色あせないカッコよさは残っています。

結成から40年たった今でも活動は続いており、
ファッションや音楽性などは変わらずに一貫しているところも凄いですね。

また、後続のミュージシャンにも大きな影響を与えてきました。
例としては、BUCK-TICKや藤井フミヤなどです。

クールスの結成

東京原宿において1974年12月に結成されました。

ある日、舘ひろしが喫茶店で食事をしていた岩城滉一に話しかけたことから始まったのです。
そして二人はバイクの話で意気投合して、すぐに打ち解けたのです。

不良が不良を認め合った瞬間でした。

舘ひろしがリーダーで岩城滉一をサブリーダーでした。

そして岩城滉一の学生時代からの友達の
佐藤秀光らで構成されたバイクチームがクールスの原点となりました。

チーム結成当時の人数は21人でした。

 

そしてなんともかっこいいことに、クールスには血判状というものが存在したのです。
その内容は、「このチームはリーダーである舘ひろしの独裁によって決まる」というものでした。

これってちょっとカッコよすぎませんか!!!

この当時のメンバーのファッションもカッコよく、
全員リーゼント、黒か青のジーンズ、黒の革ジャン、そして黒のオートバイで統一されていたのです。

黒がベースだったのです。

しかもその理由がまたカッコ良いいのです!
実は舘ひろしは学生時代にラグビー部に所属して主将を務めていたのですが、
ラグビーニュージーランド代表のオールブラックスの色が黒だったからという、
なんともなんともカッコいい理由になっているのです。

そしてこの後、クールスはバンドを結成して音楽活動を行っていきます。
初めはバンド活動に消極的であった舘ひろしですが、
メンバーを食わせていくためということで、バンド活動を始めることになったのです。

そして1975年に「紫のハイウェイ」でデビューしました。

しかし、ここに岩城滉一は参加していませんでした。
その理由は、すでに俳優としてのデビューが決まっていたからでした。

そして『黒のロックンロール』『ロックンロール・エンジェルス』
『東京直撃』『ハローグッドバイ』
といった4枚のアルバムを出して音楽活動をしていました。

周りからは順風満帆に見えたクールスでしたが、
1977年4月にリーダーの舘ひろしが脱退したのでした。

その理由は、映画やメディアにどんどん出ていきたい舘ひろしと、
あくまで純粋に音楽を追求していきたいという他のメンバーとの間に、
修復できない亀裂が生まれていたことが原因でした。

その後、舘ひろしは俳優として成功し、石原プロモーションの所属となっていきました。

 

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クールスのメンバー

そしてその後、クールスはメンバーの入れ替えがあったり、
少しづつ形を変えていったのでした。

クールス (1975 – 1977)

舘ひろし
水口晴幸
村山一海
ジェームス藤木
佐藤秀光
大久保喜市
飯田和男
梅村光男

クールス・ロカビリークラブ (1977 – 1981)

水口晴幸
村山一海
ジェームス藤木
佐藤秀光
大久保喜市
飯田和男

クールスRC (1981 – 1983)

横山剣
村山一海
ジェームス藤木
佐藤秀光
萩野知明
飯田和男

 

オリジナルクールス90′ (1990 – 1992)

村山一海
ジェームス藤木
佐藤秀光
大久保喜市
濱野(飯田)和男

 

ザ・クールス (1992 – 1997)

村山一海
ジェームス藤木
佐藤秀光
山崎廣明
後藤直樹

 

クールス (1997 – 現在)

村山一海
ジェームス藤木
佐藤秀光
オオクボキイチ(大久保喜市)
フランク(濱野和男)
後藤直樹
和田ジョージ

wikipedia

クールスメンバーの現在

今回は数人をピックアップしてみました。

 

水口晴幸

通称PITPI(ピッピ)はクールスの初代ボーカリストでした。
その後、勝新太郎に俳優として見出されました。
現在も細々と俳優を続けているようです。

 

玉川雅巳

通称マチャミは2018年に64歳で亡くなられました。
亡くなられた時、彼は棺の中でリーゼントにしてもらったそうです。

 

佐藤秀光

ハーレー&トライクカスタムショップ「CHOPPER」のオーナー

 

ジェームズ藤木

多くの楽曲を他のミュージシャンに提供している作曲家

 

横山 剣

クールスを脱退後、クレイジーケンバンドを結成しました。
現在は、作詞家・作曲家、タレントとして活躍しています。

 

岩城滉一

その後は俳優として大活躍しています。
もう説明する必要がないくらいの、大活躍です。

 

舘ひろし

こちらも俳優として大活躍しています。
日本の刑事と言えば舘ひろしと言われるくらい、刑事ものに多く出演してきました。
代表作の一つは『あぶない刑事』シリーズになります。

舘ひろしと岩城滉一の確執

クールスが脚光を浴びたのは1975年4月13日、
伝説のロックバンド「キャロル」の解散コンサートで、キャロルの親衛隊を務めたことでした。

そこで注目されたクールスは、
レコード会社から誘われてロックバンドとしてデビューすることになったのです。

しかし、そこで舘ひろしと岩城滉一の間に亀裂が生じることとなったのです。

岩城滉一は役者として映画デビューが決まっていたので、
他のメンバーもなんとか出られないかと、東映に頼んでいたのでした。

しかし、一方の舘ひろしはバンドもや映画もとなったら、
メンバーに驕りができてチームがまとまらなくなるのではと懸念したようです。

だからバンドはやるけど、映画には出ないと東映に断りを入れたのです。
でもこれは岩城滉一にしてみれば、せっかく東映に話したのになんだよとなったのです。
その頃から、2人の間には亀裂が生じてきたのです。

俳優として忙しくなった岩城はクールスを離れ、
舘も俳優の道に進むために1977年4月に脱退しました。

クールスは存続したのですが、初期のメンバーはバラバラになったのです。

その後、最初のメンバーで集まることは幾度となくあったのです。
血判を交わした仲だから、何年ぶりに会ってもすぐに仲間に戻れるのです。
でも、舘と岩城を一緒には呼ばなかったようです。

みんな2人の気持ちを知っていたから、決して呼ばなかったのです。

そしてこの二人はその後ずっとぎくしゃくしていたのですが、
二人がまた分かり合える日がやってきたのです。

それは、マチャミのお通夜でした。
その通夜はあたかもクールスの再結成のようで、
17人の血判状メンバーがほとんど顔をそろえたのです。

この時、舘と岩城は肩を抱き合い、涙を流して親友の死を悼んだのです。
クールスがバラバラになったのを、マチャミが一番悲しんでいたのです。

そして最後はそのクールスを、あたかもマチャミが一つにしたような感じだったそうです。

こうして42年という時を超えて、舘ひろしと岩城滉一は再び分かり合えたのです。

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まとめ

 

クールスってカッコよかったですね。
英語で、COOLはかっこいいとか、いかすという意味もあります。

彼らは誰が見ても、クールな連中です。
だからクールスって言葉がとっても似合っていたのです。

あの二人が和解したということは、
またあの最初のクールスが見れるのではないかと期待してしまいます。

もし、そんな日が来たらサイコーに嬉しいんですが。

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