キャロルってカッコよくて、いかしてましたよね。

カッコだけじゃなくて歌も演奏もいい。
これなら人気が出るのも当たり前です。

そして一番良かったのは、リーダーの矢沢永吉ですよね。
とくに若い頃はすっごくイケメンだった。

君はファンキーモンキーベイビー!
いい曲でした、大好きでした!

ということで今回は、キャロルについて迫っていきましょう。

 

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キャロルのプロフィール

メンバー

矢沢永吉(ベース・ボーカル)
ジョニー大倉(ギター・ボーカル)
内海利勝(ギター・ボーカル)
ユウ岡崎(ドラムス)

旧メンバー

今井茂利(ドラムス)
相原誠(ドラムス)
サミー(ギター)

活動期間 1972年 - 1975年

カッコ良かったですよね!
不良っぽいイメージとロックがちょうど合わさって、
凄いものになったという印象です。

実際の活動はわずか2年半という短いものだったのですが、
日本のロックシーンを変える大きな印象と存在感を残しました。

しかも、彼らの始まりも時代を感じさせるものの、とても粋な始まりでした。

それは1972年4月に矢沢永吉が川崎駅近くの楽器店に、
手書きの貼り紙をしたのですが、その文面が端的でいかしてます。

「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」

 

それを見て応募してきたのがジョニー大倉でした。
それで二人は喫茶店で2,3時間話をしたのですが、
もうその時から矢沢は「俺はビッグになるために広島から出てきた」
というセリフを言っていました。

そしてキャロルの楽曲は矢沢永吉作曲、ジョニー大倉作詞を基本線として、
二人で多くの優れた作品を生み出していったのです。

 

その当時というのは、フォークが台頭してきて、
ロックが勢いを失いかけていた時だったのです。

それでもキャロルは革ジャン、リーゼント、ロックンロールという彼らのスタイルも徐々に確立されていったのでした。

1972年12月25日にシングルレコードの「ルイジアンナ」で、
正式にプロデビューを果たしたのです。

しかもこのドーナツ盤レコードの中には、
東京・文京公会堂の無料コンサートチケットが入っていました。

しかもそのコンサートにはなんとあの和田アキ子が友情出演したというのですから驚きですね!

その後、彼らは信じられないようなハイペースでシングルを出していったのです。
それはなんと、1か月に1枚という猛烈なスピードでした。

「ルイジアナ」20枚
「ヘイ・タクシー」10万枚
「ファンキーモンキーベイビー」30万枚

このような売れ行きで、このスピードリリース作戦は大成功を収めたのです。
これら以外のシングルも、平均10万枚を売り上げて、
コンサートを開けばどの会場も満員になる状態でした。

この頃になるとメディアにも多く顔を出し、
矢沢永吉が挑発的にしゃべり倒し、他の3人は仏頂面で黙っているという戦略を取っていたのです。

また、「第1回ロックンロール・カーニバル」に出演した際には、
初の大舞台という極度の緊張から、
ジョニー大倉が極度のトランス状態に陥り、失神までしてしまったのです。

このことでキャロルは失神するほど猛烈なライブをやるという話題になり、
さらにキャロルの人気が上昇していったのでした。

しかし、この当時からジョニー大倉は精神的にも不安定でした。
人気絶頂のツアー中に失踪して、
11973年1月23日から1974年2月中旬まで行方が分からない状態だったのです。

そして発見されたのは川崎市内の精神病院というありさまでした。

この失踪期間中に代わりのメンバーを入れて活動していたキャロルでしたが、
その後、ジョニー大倉が復帰しました。

キャロルというバンドはこういったエピソードは色々とある危険なバンドでした。

 

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キャロルの解散

キャロル解散の原因はメンバー間の確執でした。

しばらく一緒にやっていれば、それは色々と積み重なってくるものです。
ただ、いくつかの大きな要因を挙げれば、
ジョニー大倉の失踪などでぎくしゃくしたのは事実なようです。

また、キャロル結成時に矢沢永吉だけ結婚して子供がいました。
そのために仕事が終わるとすぐに家に帰っていましたが、
他のメンバーは独身だったために、
夜通しで遊ぶことも多かったために、メンバー間でずれが生じたこともあるようです。

そういったこともあって、ジョニー大倉が他のメンバーに
別のバンドを組むように持ち掛けて、
キャロルを解散する方向にもっていったという話もあります。

それに対して矢沢永吉は大激怒して、
その流れで解散に至ってしまったそうです。

そのために、こういった原因を作り出したジョニー大倉に対して、
矢沢永吉はずっと恨んでいたといます。

そして1975年4月13日に、解散コンサートを日比谷野外音楽堂で行いました。
日比谷野外音楽堂は3千人収容のキャパシティーでしたが、
そこにはなんと7千人がつめかけたのです。

そしてこのコンサートではキャロルを象徴するようなハプニングが起こったのです。
それは、特殊効果用に用意された火がセットに燃え広がり、
「CAROL」と書かれた電飾までもが焼けて落ちてしまったのです。

このハプニングを観客は演出と思っていたようです。。
このハプニングはその後も伝説となり、いまだに語り継がれています。

キャロルを解散してからの4人

矢沢永吉

矢沢永吉はソロシンガーとして、日本を代表するロックシンガーになりました。

 

ジョニー大倉

ジョニー大倉はソロ活動と俳優としても活躍していました。
しかし、2014年11月19日、肺炎により永遠に旅立ってしまいました。
62歳でした。

 

内海利勝

内海利勝はソロ活動やイギリスのレゲエバンドとのコラボ、
そして原田芳雄のサポートなどをしています。
2012年には矢沢のライブでも演奏しました。

 

ユウ岡崎

ユウ岡崎に関しては、『C's Graffiti Japanese Rock'n Roll Band』
というバンドを結成して現在も活躍しています。

 

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まとめ

 

それにしても、キャロルって凄かったですね。
わずか2年半の活動で、これだけの伝説を作るわけですから。
本当に凄いとしか言いようがりません。

そこから再結成しないのも、ある意味よいことなんだと思います。

だからこそ、キャロルは永遠で色あせない魅力があるんだと思います。

今日は、ウイスキーでも片手にキャロルが聞いてみたくなりました。

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