ばっちゃんこと、中本忠子(ちかこ)という人を知っていますか?
広島のマザーテレサと呼ばれて、小学生から21歳くらいまでの子供たちに、
無償で食事を提供してきました。
しかもこの活動を40年ちかくやっているというのですから驚きです。
そして札付きのワルと言われた子供を更生させたり、とても温かい心の持ち主です。
ということで今回は、中本忠子(ちかこ)に迫ってみましょう!
スポンサーリンク
中本忠子のプロフィール
中本忠子
なかもと ちかこ
1934年生まれ
広島県出身
写真出典 https://the-liberty.com/article.php?item_id=15127
中本忠子自身は、戦後すぐに結婚して、3人の子宝に恵まれたのです。
しかし3男が産まれると夫はすぐに他界したのです。
事務職の仕事をしながら、子供たちを育て上げたのです。
そんな中、当時PTAの役員をしていた中本は保護司をしないかと勧められたのです。
保護司の仕事は、犯罪や非行をした青少年の相談に乗ったり、
就職の支援や援助を行ったりする仕事です。
そして保護司の仕事にもだんだん慣れてきたころ、
中本忠子は一人の少年の担当になったのでした。
1982年のことでした。
その男の子は当時中学2年生で、少年院に入っていたのです。
その少年の話を聞くたびに、
彼女はこの子を可哀そうだと感じるようになっていったのです。
それはこの子が家ではまともな食事を与えられていというのです。
そのためにこの子は愛情に飢えていたのです。
それ以来、この子のために毎日食事を与えるようになっていったのです。
そしてその子は悪いお行いをやめて、
同じような境遇の子供たちを次から次へと連れてくるようになったのです。
そしてその子供たちはいつしか彼女を「ばっちゃん」と呼ぶようになっていったのです。
その子供たちの境遇は様々でした。
貧困家庭、親が刑務所にいる、虐待を受けている子供など、
どの子も満足な食事を家で与えられていない状況でした。
言い換えると、愛情に飢えた子供たちだったのです。
ばっちゃんの現在は?
中本忠子は、そういた子供たちに
自分の貯金を切り崩して、食事を与えてきたのでした。
その周りから活動が知られるようになり、
近所の人が料理を手伝ってくれたり、
食費を集めるためのバザーに出品するものを持ってきてくれるようになったのです。
そして、なんと10年後には広島から資金援助を受けられるまでになったのでした。
子供たちに食事をさせるために、休みも取らずにこの活動を続けてきました。
満腹になると、子供たちの顔には笑顔が戻り、
キレない、イライラしないとももよい子供たちに戻るのです。
この活動は多くの人の共感を得て、支援の輪がどんどんと広がっていったのです。
そして2003年からは自宅での食事提供とともに、
広島市の公民館でも開催されています。
この食事会は地域の人々と少年たちが出会う場となっているのです。
2015年にはNPO法人「食べて語ろう会」が設立されたのでした。
そして年老いてきたばっちゃんの意志を引き継ぐ下地がこうして作られてきているのです。
これはばっちゃんにとって大きな喜びですね。
自分が始めた小さなことが、ここまで大きな輪を広げるわけですから。
スポンサーリンク
マコトの現在は
ばっちゃんが支援してきた子供たちはたくさんいます。
その中にマコトという少年もいました。
当時マコトは中学2年生でした。
その頃は、ちょうど時マコトの母親が再婚したばかりでした。
新しい父親にはマコトと同じ年の連れ子がいたのですが、
まだ新しい家庭はぎくしゃくしていて、会話はほとんどありませんでした。
そのためにマコトは夜遊びを繰り返し、いつも問題を起こしていました。
このマコトに対しても、ばっちゃんは料理を与えて、徐々に更生させていったのです。
そして今ではこんな美しい笑顔を見せています。
NHK ばっちゃんを観て涙が止まらん。
マコトくん、名古屋の地で頑張ってください。
広島のばっちゃん、ありがとうございます。#マコトくん#ばっちゃん#ばっちゃんのもとでご飯を食べてるみんな#幸せを祈ってます#音楽で応援したい pic.twitter.com/zqZ2vkABjb
— Rover (ベリーグッドマン) (@Rover_KANSAI) January 13, 2017
ばっちゃんに寄付できるの?
ばっちゃんの活動が広く知られるようになった今、
多くの人が参加してくれています。
それでも資金的にはなかなか余裕はないようです。
そこで「食べて語ろう会」では支援をお願いしているようです。
支援に関する問い合わせはこちらまで
「食べて語ろう会」
ちゃんと食べとる?[本/雑誌] / 中本忠子/著 食べて語ろう会/著 価格:1,512円 |
まとめ
ばっちゃんが一人で始めた試みでした。
当時は自分の生活費と貯金を切り崩して、
それで地域の子供たちにご飯を食べさせていたのです。
それが素晴らしい活動と評価されて、
今ではここまで大きくなってきました。
こういった素晴らしい活動がもっともっと広がっていってほしいですね!
スポンサーリンク