安岡力也って凄かったですねよね!
タレントとして、抜群の存在感を放っていました。

そして本当に恐そうで、それも彼の大きな魅力でした。
もう、テレビを見てるだけで視聴者までかしこまってしまうくらいのド迫力でした。

この人、もしかして本物?って思ってました。
そして若い頃はキックボクシングをやっていて、
ホントに強い人みたいですね!

 

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安岡力也のプロフィール

安岡 力也

やすおか りきや

本名  リカルド・ニコ・バレンティーノ

1947年7月19日生まれ

2012年4月8日没(64歳)

187㎝

108㎏

O型

出身地 イタリア・ジェノヴァ もしくは 宮城県仙台市

安岡力也の父と祖父はあのゴッドファーザーに出てくるような、
イタリアの本物のその筋の人でした。

父親はイタリア人で、母親は日本人だったのです。
安岡力也が生まれたのはジェノヴァでしたが、
6歳の時に父親が亡くなったために、
母と一緒に日本に帰国したのです。

しかし、東京スポーツの記事では、
父はイタリアのそちら系の人で、米軍と癒着した貿易を行っており、
来日した際に教師をしていた母との間に宮城県で生まれたと
力也自身が話していたという記事もあります。
そしてイタリアで育った経歴はないと。

そのために、出身地はジェノヴァか仙台市の両方と考えられています。

そして1964年になると東宝映画『自動車泥棒』という映画で、
ハーフの少年役としてデビューしました。

 

その後は、当時はやっていたグループサウンズの「シャープ・ホークス」
というバンドでボーカルを務めていました。
低音が響く素晴らしい歌い手だったようです。
このバンドはかなり実力があり、
あのザ・タイガースのライバルになるまでのし上がってきたそうです。
凄いですね!!!

そしてこの当時、力也はキックボクシングをしていました。
階級はヘビー級とミドルヘビー級でした。
成績は3勝1敗でした。

 

その後は本格的に俳優の道へ進み、東映では若山富三郎の派閥に入り、
山城新伍の下についていました。

その後、ちょっと仕事を干された時期があり、
その時は梅宮辰夫が面倒を見てくれて、
梅宮の主演映画『不良番長シリーズ』に出演して以降は、
梅宮辰夫を兄貴として慕うようになったのです。

そして東映が作る、千葉真一や志穂美悦子が主演する映画にどんどん出演していったのです。

 

また、1982年には『オレたちひょうきん族』では「ホタテマン」として、
バラエティーでも人気者になっていったのです。
強面でしたが、ジョークを理解して楽しみ、
いじられたりして話題にもなっていったのです。

ちなみにホタテマンになった訳は、
ほら貝をホタテと言い間違えたためにホタテマンになったのです。

それでホタテ普及に貢献したとされ、
北海道のホタテ漁業組合から感謝状までもらってしまったのです。

 

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安岡力也のやんちゃ伝説

やんちゃ伝説その1 渡瀬恒彦との最強コンビ

これは以前に山城新伍がテレビで語っていたことです。
若い頃にな仲間で飲んでいた時に、
前から来たヤンチャな集団からいちゃもんをつけられたのです。
そこでイケイケで応戦していったのが、渡瀬恒彦と安岡力也だったそうです。

 

やんちゃ伝説その2 アブドラザブッチャーとケンカをする

あの悪役プロレスラーのブッチャーと赤坂のディスコで乱闘になり、負傷させました。
しかし、その後偶然再会したのをきっかけに、親友になったのです。
プロレスラーにケンカ売るって、凄いですね!

 

やんちゃ伝説その3 本職数人を倒した

これも「たかじんのバー」で本人が語っていたことです。
力也が兄貴と慕う内田裕也と一緒に飲んでいる時でした。
本職の人たちが2人にちょっかいを出してきました。
そこで力也は相手と言い争いになり、乱闘に発展。
その人達を数十秒のうちに倒してしまったそうです。

ただ、その時に力也も刺されそうになって左手に負傷を負い、
神経にちょっと後遺症が残っているようです。

 

やんちゃ伝説その4 前田日明にビビる

あるホステスに力也が入れ込んでいたことがありました。
そしてホステスにこう言ったのです、
「お前の男と勝負させろ!!」

そしてホステスはこう言いました。
「私が付き合っているのは前田日明よ。」

それにはさすがの力也もビビってしまったようです。

 

やんちゃ伝説その5 清水健太郎を〆るが優しい一面も

その昔、俳優の清水健太郎がいけないことをして出所してきた時に、
「根性を叩きなおす」としして、きっちりと〆たそうです。

しかしその後は、清水健太郎がちゃんと仕事をしていけるようにと、
色々な所へ行って、Vシネマなどに出演できるようにと頭を下げて回ったそうです。
これを清水健太郎と力也が、二人でテレビに出演した時に語っていました。

恐いだけじゃなくて、しっかりと面倒見のいい、優し一面もあるんですね!!

まとめ

安岡力也って魅力のある人物でしたよね!
恐そうな感じで、しかも私生活のハチャメチャさも含めて、
そのあたり全部が彼の魅力でしたよね。

そして内田裕也とは本当に仲がよかったようです。
安岡力也がこの世を去った後に開かれたお別れの会にも参列して、
「ハンサムになってね、いっぱいモテてね」と言葉をかけていました。

今日は、安岡力也の映画でも見たい気分になりました。

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