辰吉丈一郎って凄いボクサーでしたよね!
強かったし、なんといっても華がありました。

見ているほうがいつも釘付けになってしまうような、
そんな素晴らしい試合をしてくれていました。

だから、人気も凄かったんだと思います。
に日本のボクシングの歴史に名を残す人物であることは間違いありません。

 

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辰吉丈一郎のプロフィール

辰 一郎

たつよし じょういちろう

1970年5月15日生まれ

岡山県倉敷市出身
倉敷市立味野中学校出身

大阪帝拳ジム所属

第50代日本バンタム級王者
元WBC世界バンタム級王者

ニックネームは浪速のジョー

B型

辰吉が生まれてすぐに両親が離婚しました。
その後は、熱狂的なボクシングファンであった父親に育てられました。

そのために、幼少期からボクシングを教え込まれたのです。
その時に、辰吉の父親は構える手は胸のあたりのほうが、
しっかりと周囲が見やすく、相手を掴んだり物を奪ったりしやすいと教えたのです。

辰吉がガードを下げる癖があるのは、そのためだと考えられています。

ただ、辰吉自身の解釈では、相手がオーソドックスの場合、
右足で蹴りを出してくることが多く、
それを下がった左手で相手の蹴りをはらい、
右手でパンチを出すことができるからだと語っています。

1989年9月29日にプロデビューを果たしました。
韓国のボクサーを2回TKOで倒しました。
実はこの時、すでに辰吉の評判は高く、
全ての日本人ランカーに対戦オファーを出していたのですが、
それをすべて拒否されたと言います。

その後も辰吉は、危ない試合もあったものの勝ち続け、日本国内の王者となったのです。

そしていよいよ1991年9月19日、世界初挑戦をすることになったのです。
相手はWBC世界バンタム級王者の、グレグ・リチャードソンでした。

グレグ・リチャードソンはアマチュアで275選、プロで33選のキャリアを持っていたのですが、
試合を最初から最後まで優位に進めて、10回でTKO勝利を収めたのです。
この時は、当時の具志堅用高が持っていた記録9戦を抜いて、
わずか8戦で世界チャンピオンになると言う記録を樹立したのです。

しかし、その後は網膜剥離といいう怪我に悩まされて、
ボクサー人生を送っていくことになるのです。

そのために長期離脱意を余儀なくされたり、
でもそれからまた世界チャンピオンに返り咲いたりと、紆余曲折をしていきます。

ただ、一つだけ言えるのは現在も現役を続けているということです。
この根性は本当に素晴らしいですね!

 

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辰吉丈一郎ヤンキー伝説!

ヤンキー伝説その1 ガキ大将にケンカで勝利!

今では信じられないことなのですが、辰吉丈一郎は子供のころいじめられていたのです。
しかしある時、勇気を出して立ち向かうと、なんとそのガキ大将に勝ってしまったのです。
その時に、自分の強さに気付いたといいます。
これがその後に続く、ヤンキー伝説の始まりでした。

 

ヤンキー伝説その2 車のキーを抜き取る

辰吉丈一郎が中学1年の時に、
下校途中でそちらの世界の人に、車を横付けされたのです。

そこで辰吉はこう言いました。
「おっちゃん、そんなにすごまんといて」

そう言いながら車に近づいて、おじさんのすきを見て車のキーを抜き取り、
それを草むらの中に投げ込んだのです。

そして笑いながら一目散に走って逃げていったそうです。

 

ヤンキー伝説その3 中1で中3の番長に圧勝

中学1年の時に、すぐに伝説を作りました。
当時すでにヤンキーだった辰吉で、彼も髪型には相当なこだわりがあったのです。
中学に入った時から、すでに剃り込みを入れていた辰吉でした。
それを中3の番長に見つけられてケンカになったのです。

しかし、番長に対してケンカで圧勝してしまったのです。
このことは地元のヤンキーに瞬く間に広がり、今でも語り草になっています。

 

ヤンキー伝説その4 20人相手に勝った

辰吉が中学生の時に他校の生徒20人くらいとケンカになったのです。
しかも、相手はほとんどが武器などを手にしていたのですが、辰吉は素手で勝ったと言います。
こちらも地元のヤンキーには今でも語り継がれている伝説です。

 

ヤンキー伝説その5 暴走族に奇襲をかけた

中学1年の時に、仲間と工事現場にあったツルハシなどの用具を持ち出し、
突然、暴走族の前に飛び出して奇襲をかけたのです。

暴走族の車のボンネットにツルハシなどを刺して、暴走族を撃退したそうです。
その後は、仲間と戦利品を分け合ったのです。

薬師寺保栄との一戦がスゴイ!

 

辰吉丈一郎ト薬師寺保栄という、
日本人同士による世界王座統一戦は史上初でした。

ファイトマネーは破格となり、
1億7000万円が一人ずつに支払われるとも言われていました。

そのために試合前からこの一戦は、舌戦という形で盛り上がりを見せていたのです。

薬師寺から辰吉への口撃

「辰吉君はベルトに【ざんてい】と書いて来い」

 

辰吉から薬師寺への口撃

「主役とカン違いのチカラの差を見せつけたる」
「あの年齢になって髪の毛染めるようなっちゃアカンよ。社会人デビューしたらダメ。」
「ヤックン」

この話題性も含めてマスコミも世紀の一戦と盛り上げました。

試合は圧倒的に辰吉有利という予想でした。
そして、世紀の一戦は1994年12月4日に行われました。
結果は左ジャブを上手く使った薬師寺が2-0で判定勝ちしたのです。

試合後に辰吉は左拳を1ラウンド終了時に骨折していたことを明かしたのですが、
それでも積極的に打ち合って、白熱した展開になりました。

この試合は名古屋地区で52.2%という驚異的な数字をマークしました。

辰吉丈一郎の名言

他人が何を言おうとそれでおまえの人生が最高やったらエエがな。

 

次、生まれ変わったらこうしたいとか言う人がおるけど次はないよ。

 

自分の失敗をしょうがないと思うやつは許されへん。

 

この世にたった一つの命やとことん生きぬいたれ。

 

笑って死ぬためには今を一生懸命生きるしかない。

 

自信には裏づけが必要だ。
そのためにはトレーニングをするしかない。

まとめ

辰吉丈一郎は凄いですね!
ボクサーとしても強かったのですが、彼の生きざまが凄いです。

怪我をしても、どんなことがあっても現役で居続けるというのは本当に凄いです。

こんなボクサーは今まで見たことがありません。

だから辰吉丈一郎は人気があるのだと思います。

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