チェッカーズって知ってますか?
昭和に大活躍した、国民的なバンドです。
あの当時は、髪型もチェッカーズカットと言われて
それも大流行しましたよね。

 

でも、彼らは人気絶頂での解散をしてしまいました。

とても不思議ですよね!
理由につい考えてみたことありますか?

ということで今回は、チェッカーズについて語ってみましょう!

 

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チェッカーズのプロフィール

活動期間は1980年 - 1992年
福岡県出身

主なジャンル J-POP、ロカビリー、ドゥーワップ

メンバー

藤井郁弥(リードボーカル) 1962年7月11日生まれ
武内享(ギター)      1962年7月21日生まれ
高杢禎彦(サイドボーカル) 1962年9月9日生まれ
大土井裕二(ベース)    1962年9月9日生まれ
鶴久政治(サイドボーカル) 1964年3月31日生まれ
徳永善也(ドラムス)    1964年6月7日 - 2004年8月17日
藤井尚之(サックス)    1964年12月27日

 

郁弥と尚之は兄弟です。

サポートメンバー
八木橋カンペー(キーボード)
アンディ檜山(パーカッション)

 

チェッカーズ前期(1983年 - 1986年) 社会現象を巻き起こす

1983年3月29日にメンバー全員が上京しました。
そして目黒区の寮生活が始まりました。

1983年9月21日「ギザギザハートの子守唄」でデビューしました。

そして翌1984年にリリースされた「涙のリクエスト」が大ヒット。
そしてオリコンチャートには、ベスト10内にこの曲と
「ギザギザハートの子守唄」、「哀しくてジェラシー」の3曲が
同時にランクインするという前代未聞の快挙を成し遂げたのです。

そしてチェッカーズは大きな社会現象をい巻き起こしましt。

そしてそのファッションと髪型が
当時の若者に大きな影響を与えたのでした。

 

チェッカーズ中期(1987年 - 1989年) バンドの安定期とその活動の活発化

そして飛ぶ鳥を落とす勢いだったチェッカーズは
出す曲、出す曲が次々とヒットしました。

そして始めは作曲家に依頼していた曲つくりも、
メンバーが徐々にこなすようになっていったのでした。

遂に1987年には、アルバム「GO」(全曲メンバーオリジナル)がリリースされたのでした。

そして同年には、尚之がメンバー初のソロデビューをし、
シングルとアルバムを発表したのでした。

そしてこれ以降、メンバーのソロ活動が活発化していったのでした。

しかしバンド活動も着実にこなしていました。
企画ものとして、一時期バンド名を変更し、
Cute Beat Club Bandとして活動していたこともありました。

そして1988年にチェッカーズは東京ドームでコンサートを開きました。

 

チェッカーズ後期(1990年 - 1992年) メンバーの相次ぐ結婚と解散

1990年にはメンバーには、バンドの顔であるフミヤが結婚しました。
そして同じ年の12月には、高杢の交際女性の妊娠を機に結婚しました。

その後を追うように、武内、鶴久もが結婚していきました。

遂に1992年10月9日には出演した「ミュージックステーション」で、
正式に解散が発表されたのでした。

そして12月にラストツアーを敢行して、
大みそかのNHK紅白歌合戦で解散したのでした。

 

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チェッカーズの解散の考えられる2つの理由

その1 ソロ活動の活発化

バンド中期からメンバーのソロ活動が盛んになって、
それと同時にバンド活動が徐々に弱まっていきました。

もともとはソロ活動を通じて得たものを、
バンド活動に生かすという目的だったのですが、
目論見とは逆にバンド活動がおろそかになってしまったのです。

そしてメンバー同士の心が通わなくなってきました。

それに大きな違和感を感じたフミヤが、
リーダーの武内享にチェッカーズからの脱退を相談したところから、
解散に発展したというものです。

 

その2 フミヤと高杢の確執

高杢はフミヤと幼稚園のころからの幼馴染で、
しかもガキ大将だったようです。
二人の関係は高杢がガキ大将で、フミヤが子分といった感じだったようです。

そしてずっとガキ大将気分で過ごしてきて、
チェッカーズというバンドも大人気となりました。

しかし、チェッカーズの人気はフミヤの比重が一番高いものとなっていました。
それで、子供のころからの上下関係が逆転してしまったのでした。

そしてメンバーが次々と音楽で才能を発揮して
作詞作曲などをこなしていきました。

でも高杢は作詞も楽器もできませんでした。

高杢は子供のころからガキ大将として突っ走ってきたのですが、
そんな男がバンドの中では下の位置に立っていたのでした。

サッカーで言えば、ガキ大将なのに補欠です。

しかも、高杢はソロでもパッとしませんでした。
そういったことで、高杢のフミヤへの嫉妬はどんどん募っていったのでした。

 

解散説の結論

上記の2つの説を考え合わせると、
高杢が嫉妬や苛立ちを募らせたのは事実なようです。

そしてそれと同時にメンバーもソロ活動を開始して、
お互いの心が離れていってしまったのだと思います。

そしてフミヤもこれなら一緒にやっていくよりも、
ソロになたほうが良いと思って、リーダーに相談して
それで解散という運びになったのだと思います。

よくバンドンの解散にはありがちなことですが、
理由は一つではない場合が多いようです。

ただ、BOOWYもBEATLESもそうですが、
メンバーの確執というのが一番の原因ではあるようです。

チェッカーズの再結成はあるのか?

チェッカーズはたびたび騒がれていますが、
これも100%に近い確率でないと思います。

これには2つの大きな理由がります。

一つ目は、メンバーの一人がすでに亡くなっていることです。
こうなると、再結成しても完全なチェッカーズの再現はあり得ません。

そしてもう一つは、バンドが解散してから
高杢がバンドに関する暴露本を出版して
フミヤについても色々と言及していたからです。

これでメンバーの溝がさらに深まったと考えられています。

確かに、解散してから暴露本など出されたら、
再結成する気持ちはなくなりますよね!

 

まとめ

今回はチェッカーズについて迫ってみました。

チェッカーズは昭和を彩った素晴らしいバンドです。

本当はもっと長く活動してほしかったとは思いますが、
わずか12年という短い活動期間で終わってしまいました。
元メンバーには、これからも色々な面で頑張ってほしいと思います。

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