ピンクレディーってすごいアイドルでしたよね。

かわいくて、きれいで、踊りもうまくて、
本当に素晴らしいアイドルグループでした。

ミイとケイ最高でした。

あの当時、特に子供たちから人気でした。
あんな素晴らしい歌手を生み出した昭和という時代は凄い時代でしたね。

ということで今日は、ピンクレディーについて見ていきましょう。

 

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ピンクレディーのプロフィール

ピンク・レディーは、1970年代後半に日本中を席巻したアイドル。
メンバーはミー(現:未唯mie)とケイ(現:増田恵子)の2人。

楽曲は阿久悠の作詞と、都倉俊一の作曲がほとんど。

ミー

本名は根本美鶴代(ねもと みつよ)

1958年3月9日生まれ(2019年には61歳)

静岡県出身
常葉高校

ケイ

増田恵子(ますだけいこ)

本名は桑木啓子(くわき けいこ)

1957年9月2日生まれ(2019年で62歳)

静岡県出身

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ピンクレディーのシングル『サウスポー』

『サウスポー』は1978年3月25日に発売されました。
オリコン初登場1位で、累計売上は180万枚でした。

この曲で獲得した賞

「日本歌謡大賞」放送音楽賞・歌謡大賞
「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭」ベストアクション賞
「FNS歌謡祭」優秀歌謡音楽賞

この曲が凄い曲だったということが分かります!

 

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『サウスポー』のモデルは誰?

この曲の中には世界のホームラン王、
王貞治を思わせる内容が書かれています。

「背番号1の凄いやつが相手」
「フラミンゴみたいひょいと一本足で」

といった部分などです。

ということで、この曲のモデルは王貞治だと思い込んでいました。
確かにそれは間違いではないのです。

でもそれはバッターのほうです。
実はこの曲の主人公となっているのは、バッターと対決するピッチャーのほうなのです。

「得意の魔球を投げ込むだけよ」

ピンクレディーが曲の中で演じているのは、実はこのピッチャーのほうなのです。

このピッチャーのモデルとなった人物がいるのです。

それは西武ライオンズのピッチャー永射保だったのです。
1977年のオールスターゲームで、
永射保は王貞治を大きなカーブで三振に仕留めたのです。

この時の対決に感銘を受けた作詞家の阿久悠が、
これを詞の世界に表現したものです。

永射保について

永射 保
ながい たもつ

1953年10月3日 - 2017年6月24日

実はこの永射保の投球フォームは本当に変則的なんです。
そてダイナミックで本当にかっこいいんです。
この投球フォームは、投手のバリエーションが広がった今日でも、本当に珍しいものです。

阿久悠が感銘を受けるのも分かります。

永射保の実際の映像

凄いフォームですね!

このようなフォームになったのには、いくつかの段階があります。
先ず、プロ入りして2年目に自分の急速に限界を感じて、
当時の首脳陣と相談の上、変則フォームに着手したのです。

また、山田久志のフォームを研究しました。
踏み込む足をインステップにして、
テンポをわざと遅らせるフォームを4年かけて自分のものにしていったのです。

ワンポイントでの起用が多く、ピンチで相手主軸を一人抑える姿は印象に残っています。

まとめ

サウスポーのモデルはてっきり王貞治だと思い込んでいました。
でも、それはバッターのほうで、
ピッチャーは永射保だったというのは驚きですね!

この曲ができてから何十年とたっていますが、
今でも語り継がれるのはピンクレディーの素晴らしさがあるからだと思います。

やっぱりピンクレディーってすごい!!

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