元気が出るテレビって面白かったですよね!
昭和を代表するお笑い番組の一つでした。

あんなに面白い番組はなかなかないんじゃないでしょうか?

毎週日曜日待ち遠しかったです。
なんといってもビートたけしがさすがに面白かったです。

それにたけしも若くて、勢いがありました。

 

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元気が出るテレビ

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』

てんさい・たけしのげんきがでるテレビ!!

1985年4月14日から1996年10月6日まで日本テレビ系で放送

毎週日曜日20時から20時54分まで放送

この番組はドキュメントバラエティーといわれる形態の元祖となった番組です。
当時としては、この番組はとても画期的な番組でした。
テレビというのは真実を伝えるものだという、
それまでの認識を破ったものと言われています。

それ以外の大きな特徴としては、全く無名の人物を発掘して
色々な人気者を生み出したという特徴があります。

例えば、どこどこに凄いお金持ちのお嬢様が存在したなど、
視聴者とはほとんど関係ない企画も多数行われていたのです。

また、元気が出る商事という設定で出演者は、
社長、部長、課長、秘書といった肩書があります。

 

そしてお笑い番組なのに、
大物俳優の松方弘樹、原田大二郎、宝田明や、
歌手の野口五郎などが出演しているのは
元々はこの枠でテレビドラマが放送される予定であったので、
そのためにスケジュールを空けてもらっていたためでした。

また番組の最盛期には竹下通りと浦安に「元気が出るハウス」が開店して、
その後のタレントショップブームのパイオニアとなりました。

 

また1988年あたりから、お笑い一色だけでなく、
ダンス甲子園など一般人が自分の目標達成に向かって
努力をするというドキュメンタリー色が濃い内容となっていったのです。

 

また、1988年7月には鞍馬天狗の格好をしたビートたけしが、
ウイッキーさんのワンポイント英会話のコーナーで、
ウイッキーさんにちょっかいを出しながら出演しました。

この番組の元気が出るテレビというのは、
元気を出させるテレビを作るということで、テリー伊藤が命名したものでした。

ヘビメタのコーナーにX JAPANとYOSHIKIが出演

X JAPNのデビュー当時はハチャメチャでした。
ライブハウス時代にはメンバーが暴れて火を吹いたり、
ドラムセットにガソリンをかけて燃やしたりして、
多くのライブハウスから出禁になるという伝説があります。

また、打ち上げでなどでも他のバンドとケンカをして
関東三大粗大ゴミバンドとして煙たがられていたのです。

X JAPANと言えば、日本を代表する凄いバンドです。
誰も知らない人がいないというくらい、有名になったバンドです。

しかし、デビュー当初は売れずに大変だったようです。
いくら良い曲を書いても誰も見てくれない、
それでは意味がないと言うことで、リーダーであるYOSHIKIは知名度が必要と考え、
1986年に元気が出るテレビのヘビメタのコーナーに出演したのです。

 

高田純次がYOSHIKIのお宅訪問

当時YOSHIKIが住んでいた中野のアパートに高田純次が訪問しています。

 

八代食堂で演奏

X JAPANは食堂で演奏したこともあります。
ちなみにこれはHIDEが加入して、初めての仕事だったと言います。

この食堂は環七から早稲田通りのほうにあったもので、
大衆食堂と言われるもので、
四人掛けのテーブルとか椅子がいくつかあったように記憶しています。

ボーカルのTOSHIはカウンターの椅子の前で歌っていた時に、
何かを壊してしまい、「すいません」と素直に謝っている姿が印象的でした。

それを見たビートたけしは、
あんな格好をしても、素直な奴だと笑っていたのです。

 

ヘビメタ運動会

このようにして、当時のヘビメタの人たちが一堂に集まって、
派手な格好で運動会をしていました。

 

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色物扱いでもテレビに出る!

X JAPANが元気が出るテレビに出演した理由は、
上述の通りとにかく知ってもらうというためでした。

ネットがなかった当時ですから、YOSHIKIはテレビを使った戦略を取った訳です。
色物扱い、ネタ扱いでもいいから、
とにかく露出しないことには始まらないと考えて、
そこで自分たちのプロとしての実力を見せつければ絶対にブレイクできると信じて、
このテレビ戦略を行ったのです。

このヘビメタ企画の発端ですが、
YOSHIKIから日テレにオファーを出したという説もあれば、
髪の毛を立てた変な奴らがいるという話が日テレに舞い込んできたということで
出演依頼が来たという話もあるために、真相は分からない状態です。

そしていったん放送が始まると、食堂の中でライブをやったり、
ドラムの早叩き競争で勝ち抜いたり、
寝ているタレントのところに行って、楽音で演奏して叩き起こしたりしていたのです。

このバラエティーさから、その当時のほかのバンドたちからは嫌われていたそうです。

まとめ

YOSHIKIの狙いが見事に当たって、
そこで大成功してしまったX JAPANです。

あの時にカッコつけて、
俺たちはそんな色物扱いなんてされたくないと言っていたら、
今のX JAPANは存在しないのですから。

YOSHIKIはバンドマンとしての才能もあったのですが、
それと同時にビジネスパーソンとしての才覚もある人間です。

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