昔、日本では小人プロレスが存在していました。

厳密にいうと、現在も存在はしているみたいなのですが、
昔と比べると、その規模はかなり小さくなってしまいました。

この小人プロレスが昔は、けっこうな人気を持っていた時代もあったのです。

 

ということで今回の記事では、

・小人プロレスの現在は?
・差別として人権団体消されたはデマ?
・ドリフ出演についても!

といったことについて迫ってみたいと思います。

 

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小人プロレスとは

小人プロレスはミゼットプロレスとも言われます。
小人症の人々がプロレスの試合を行っていたのです。

この選手たちをミゼットレスラーと呼ばれています。

日本では主に全日本女子プロレスの前座として興行が行われていました。

また、1960年代前半には何度かアメリカのミゼットレスラーを招いて
国際的な小人プロレスの試合を行っていたくらい、人気があるものだったのです。

しかしその後、小人プロレスはどんどん下降線をたどっていくことになったのです。

小人プロレスの現在は

2019年現在も小人プロレスは存在しています。
現役の選手としては、たった2人がます。

その名前は、ミスター・ブッタマン選手とプリティ太田選手です。

2017年にはテレビ番組である「探偵ナイトスクープ」で、
小人プロレスを一緒に体験するという放送回がありました。

確かにこの2人は現役の選手ではあるのですが、
常に試合をしているわけではないのです。

太田選手はプロレスラーよりも、
舞台俳優として活躍している割合のほうがかなり大きいのです。

これから小人プロレスに入りたいという人が出てくるかどうかも分からない状況で、
このままだとあと数年以内にはなくなってしまうと予想されています。

差別として人権団体消されたはデマ?

この小人プロレスですが、一時はあれだけ人気があったのに、
どうして現在はここまで落ち込んでしまったのでしょうか?

それは人権団体に差別だと主張されて、追いやられてしまったという説があります。
小人プロレスを知っている人なら、
この説を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?

1980年代には、実際にクレームが寄せられて、
メディアが自主規制という形をとっていたのです。

ただ、テレビなどでは放送されない状況ではあったものの、
実際に小人プロレスの試合は行われていました。

ですから、人権団体によって消されたという説は半分はデマなのです。

この人権団体によって消されたという説は、
どうやら人々の頭のなかではアメリカの事例と混同されている部分があるようです。

実はアメリカの小人プロレスも、差別的だと言われて
活動が大幅に縮小されていた時期があったのです。
しかし、アメリカでは90年代にはいるとメキシコのレスラーを招聘したり、
ルチャリブレを導入したりして復活を果たしたのです。

 

女子プロレスの台頭

話は日本の小人プロレスに戻ります。

小人プロレスの人気が落ち込んだもう一つの理由は、女子プロレスという説もあります。
全日本女子プロレスが創設された当時は、小人プロレスと同時進行で、
女子プロレスが小人プロレスの前座を務めるという状況でした。

それからしばらく経って、女子プロレスからあのマッハ文朱というスター選手が誕生したのです。
そうすることによって、徐々にその形勢が逆転していき、
今度は小人プロレスが前座を務めるという風になっていったのです。

 

それどころか、女子プロレスを見に来たファンは、
小人プロレスの時には席を外すという場合もあったようです。

しかし、それまで手を組んできた女子プロレス側は、
立場が変わっても小人プロレスを蔑むようなことはしませんでした。

それどころか、小人プロレスラー選手の持つ素晴らしい技術に憧れを持っていたほどです。

それからも小人プロレスラーたちは、
男子プロレスにはない技を見せたいということで、
自分たちなりの魅力や技の訓練をしていったのですが、
小人症からくる二次障害などの影響で選手寿命の短い小人レスラーにとって、
過酷すぎる訓練や強すぎるほどのプロ意識は逆に凶器でもあったのです。

 

体を壊していく小人レスラーたち

小人症の二次障害とでもいうべく、
小人レスラーたちはプロレスをしていくにあたって、大きな問題を抱えていたのです。

その後、車いす生活になってしまった選手がいたり、
失明でリングに上がれなくなった選手がいたりと、
円満に引退できた選手はほとんどいなかったのが現状です。

このように、体を壊す選手が続出したために、
小人プロレスを運営する会社側も、
リングの上で死なれては困ると、試合をするのをさらに控えるようになっていったのです。

それから医学の進歩も伴って、
小人症の治療も可能になっていったために、それも原因で小人プロレスへの志願者が減ったのも事実です。

2002年になるとリトルフランキーというレスラーが亡くなったために、
これで小人プロレスは滅びたのではないかとさえ言われましたが、
上述した通り、現在でも2名の小人プロレスの選手が存在しています。

 

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ドリフに出演したことも

上述した通り、小人プロレスは1962年の放送を最後に、
メディアの自主規制でテレビでの放送はほとんどありませんでした。
そのために、小人プロレスを見るためには、実際に試合会場に行くしか方法がありませんでした。

テレビ全盛期のこの時代に、テレビ放送されなかったので、
全く小人プロレスの知名度は上がりませんでした。

小人プロレスのテレビ放送がされなった理由の一つは、
彼らが笑わせるための芸も含めた試合をしていたためでした。

そのため、笑いの対象にするのは可哀そうだというクレームも入っていたためでした。
そういったものがあったためにテレビ放送を自粛したのは事実です。

しかしそんな頃、あの国民的お笑い番組であったドリフの「8時だよ全員集合」に、
レスラーであったミスターポーンが出演することになったのです。
ミスターポーンは、これを絶好の機会ととらえて、
小人プロレスの人気を一気に押し上げようと考えたのです。

しっかりと計画とリハーサルを繰り返して、いざ本番に向かい、
会場はものすごい盛り上がりを見せたのです。

しかし、見世物みたいで可哀そうというクレームが相次ぎ、
彼の出演はわずか数回で終わりになってしまったために、
残念ながら小人プロレスの人気復興は叶わなかったのです。

天草海坊主の写真

まとめ

この小人プロレスですが、このところのYOUTUBEでの放送などで、
徐々に知名度を上げてきています。

確かに、可哀そうであるというクレームも理解はできますが、
その一方で、そういった声が彼らの活躍の場を狭めてしまったことも事実です。

可哀そう、という言葉は一見、彼らを守っているかのように見えるのですが、
その結果がどういう方向になっていくのかを考えて、
慎重に使っていかなくてはいけません。

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