クイズ面白ゼミナールって面白いクイズ番組でしたよね。
とても素晴らしいためになる番組で、
あの鈴木健二アナウンサーもとても博学でした。
あの番組を毎週楽しみにしていた人って多いのではないでしょうか?
筆者も子供ながらに、毎週見ていました。
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クイズ面白ゼミナールについて
『クイズ面白ゼミナール』
クイズおもしろゼミナール
NHK総合テレビ
1981年4月9日から1988年4月3日
この番組はタイトルが示す通り、
大学のゼミをも真似したスタイルで、アカデミックな要素が強いクイズ番組でした。
司会を務めた鈴木健二アナウンサーが大学の教授で、
回答者は大学生というポジションでした。
回答者は3人1組でチームを形成して、4チームが出来上がり、
その4チームがクイズの得点を争ったのでした。
セットは大学のゼミの雰囲気を出すために、
大学の講義室の階段のような作りになっていました。
また、鈴木健二アナウンサーは教授という位置づけのために、
回答者たちに対して、敢えて命令口調で語りかけていました。
番組の始まりはいつも次のような決まり文句で始まったのです。
「“知るは楽しみなり”と申しまして、
知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。
私は当ゼミナールの主任教授でございます」
最後は優秀賞、敢闘賞、ゼミナール賞の順で表彰していき、
アシスタントがトロフィーを手渡していました。
この番組は大きな人気を誇っており、1982年9月12日の放送では、
視聴率42.2%という大記録を打ち立て、
クイズ番組史上ナンバー1の数字となっています。
クイズ番組で視聴率40%台を記録したのは、
この番組をクイズダービーだけです。
この番組は高い人気をずっと保っており好評だったのですが、
鈴木健二が1988年1月にNHKを定年退職したために、
1988年4月3日の放送で終了したのです。
明石家さんまがNHK出禁になった理由
こんな大人気の番組ですから、
既に人気のあった明石家さんまにも当然声がかかった訳です。
そしていよいよ1983年2月27日のクイズ面白ゼミナールに
明石家さんまが出演することになったのです。
しかしここでさんまが大失態をしてしまったのです。
それは、鈴木健二が解説をしているときに、
大あくびをしてしまったのです。
しかもそれがオンエアされてしまったのです。
それがもとで視聴者からお叱りの声が届いて、
それ以来NHKから声がかからなくなったそうです。
たかがあくび、されどあくびです。
当時は人気絶頂のころだったので、
オレたちひょうきん族などで寝る暇もないくらい忙しかったと思われます。
しかし28年が経過した2013年2月2日に放送された、
『NHK×日テレ60番勝負』に明石家さんまが生出演し話題となりました。
さんまは、これを機に紅白歌合戦の司会にも挑戦したいと語っていました。
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主任教授の鈴木健二
司会を務めていた鈴木健二は番組のすべてをつかさどっていたのです。
問題の出題、解説、途中経過、成績発表など全てを掌握していました。
鈴木健二はこの番組の大ヒットの影響などで、
1983年、1984年、1985年と『NHK紅白歌合戦』の白組の司会に抜擢されています。
鈴木健二が凄いところは、1つのテーマについて本代を7万円もかけて勉強して、
30冊くらいの本を読んでいたのです。
問題に関する裏付けや、細かい数字データもすべて覚えていたために、
なんのメモも見ることなく司会進行を完璧にこなしたのです。
一つのテーマに関しての調査はNHKのスタッフも行っていたのですが、
その調査料が鈴木健二の一人分のそれにも当たらなかったと言われています。
鈴木健二ってやっぱり凄い人だったんですね!
まとめ
クイズ面白ゼミナールは本当に人気番組でしたね。
NHKということもあって、家族全員で安心して見れる、
とても面白い番組でした。
家族そろってこの番組を見ていた、思い出の番組でした。
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