インベーダーゲームって一世を風靡しましたよね!
日本中がインベーダーゲームをやってたような、
そんな気がするくらい流行っていました。

 

昔は喫茶店とかにたくさん置いてあって、
インベーダーゲームをやるために喫茶店に行く人って多かったように思います。

そして、あのゲームは本当に面白かったので、
やる価値はありましたよね!

 

今回はそんなインベーダーゲームに迫ってみたいと思います。

インベーダーゲームをは喫茶店などで大流行しました。
インベーダーゲームの名古屋打ちの語源は?孫正義が儲けた秘密は?
について迫ってみたいと思います。

 

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インベーダーゲーム

 

『スペースインベーダー』というのは、
1978年(昭和53年)に株式会社タイトーが発売したゲームです。

これに続いたタイトーの後継製品や他社が発売した
類似ゲームや模倣ゲームの総称がインベーダーゲームと呼ばれています。

 

インベーダーゲームの概要

このスペースインベーダーという意味についてですが、
スペースは「宇宙」を意味して、インベーダーは「侵略者」を意味します。

つまり、侵略してくる宇宙人を打ち落とすことを目的とするシューティングゲームとなています。

画面の上から降りてくるインベーダーを、プレイヤーは打ち落とさなくてはいけません。
時々、敵の宇宙船の敵の母艦が現れてくるので、
それを打ち落とすとボーナス点を獲得することができます。

 

このインベーダーゲームは歴史的な大ヒットを記録したために、
このゲームの著作権などを無視して、多くのコピー商品が氾濫したのですが、
そういったゲームの中には後に世界的なゲームメーカーとなった会社も存在しています。

 

とにかくインベーダーゲームは売れに売れて社会現象となったために、
ゲームセンターが矢継ぎ早に開店して、喫茶店やスナックにも
インベーダーゲームがどんどんと置かれていったのです。

もう、日本全国猫も杓子もインベーダーゲームといった感じした。

名古屋打ち(撃ち)

インベーダーゲームと言えば、名古屋打ちがとても有名になりました。

敵のインベーダーが発射するミサイルは、プレイヤーの真上からではなく、
1キャラクタースペース分、離れたところから放たれていて、
当たったという判定は、さらにその一段下からされます。

 

敵のインベーダーが一番下まで降りてきて砲台に接近した状態の時は、
ミサイルがこの当たり判定を擦り抜けてしまうことがあり、
その特性を利用して攻撃することを名古屋打ち(撃ち)と言います。

すなわち、この名古屋打ちは相手を最下段までひきつけなくてはいけません。

しかし、敵のインベーダーが一番下まで降りてくるのを待つと総攻撃をされてしまうので、
その総攻撃を回避するために一番端の列の最上段の敵だけを残して、
その隣に位置する2~3列くらいのインベーダーをあらかじめ撃ち落としておくことが大切になってきます。

 

右側に残しておく列は一般的には3~4列というものでしたが、
下にある図のように敢えて列を多めに残しておくと、
進行時間を稼ぐとこができるという利点もあったために、
プレイヤーが採用できる作戦に、さらなるバラエティーが加わる一因にもなっていたのです。

 

O  OOOOOOO
   OOOOOOO
   OOOOOOO
   OOOOOOO
   OOOOOOO
   凸

 

このために、撃ち落とした2~3列くらいのスペースが常にあるために、
この範囲の中で砲台を動かせれば、敵インベーダーに攻撃されることなく、
敵が最下段に降りてくるのを待つことができるのです。

 

敵インベーダーが一番下まで降りてきてからミスをすると、
即ゲームオーバーとなってしまうので、
正確な射撃と移動が絶対条件ですが、
UFO撃破による安定した高得点を可能にする戦略だったのです。

 

 

 

名古屋打ち(撃ち)の語源は?

このインベーダーゲームの代名詞とまでなった名古屋打ち(撃ち)ですが、
その語源は一体何なのでしょうか??

これはとても気になるところですね。

結論から言うとこの名古屋打ちの語源は分かっていませんが、
考えられる説はあるようです。

名古屋は昔、尾張と言われていました。
それを隠語的な表現で終わりと関連つけられたというものもありました。

ただ、はっきりとした理由は分からないようです。

 

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孫正義がぼろ儲けしたエピソードとは

 

実はあのソフトバンクの創業者である孫正義はインベーダーゲームと大きなかかわりがあるんです。

孫正義は高校生の頃、アメリカに4週間の語学研修旅行に行ったのです。
そこで目にしたアメリカの大きさ、アメリカの大学の自由な雰囲気に心を奪われたのでした。

孫正義は元々坂本龍馬に憧れていたのですが、
特に、次の2つの言葉を意識するようになってきたのです。

 

「人生は短い。若いうちに行動しなければ、後悔する」

「人生は限られている。だからこそ、思い切り生きなくては」

 

そこで日本の高校を中退して、サンフランシスコの語学学校に留学をしてしまうという
早業をやってのけたのでした。

それからカリフォルニア大学バークレー校に入学して、猛勉強をしたのでした。

そして孫正義は大学時代に、世界一勉強したと自負しています。
食事をするときも、ふろに入る時も、湯船につかりながらも勉強をしていたそうです。

テープに録音した講義を常にヘッドホンで聞いていたそうです。

 

また、時間がもったいないということで、教科書をハンドルの上にのせても勉強していたとのことです。

その後、紆余曲折があった孫正義ですが、
1979年にアメリカでユニソンワールドという会社を設立しました。

学生ビジネスマンとして日本とアメリカを行き来していた孫正義ですが、
その頃、アメリカに日本からインベーダーゲーム機を持ち込んだのです。

その頃の日本では大流行していたインベーダーゲームの火が消えた状態で、
過剰にせ産されてしまった機械が倉庫に山積みになっていたのでした。

 

あの大ブームの頃には1台で1000万円以上もしたインベーダーゲームを、
孫正義は5万円で20台も買い取り、アメリカに空輸したのでした。

 

飛行機の搬送料金は1台7万円もしたそうです。

そして収入折版という条件で、そのゲーム機をあちこちのレストランに置いてもらうことにしたのです。
最初は渋っていたレストラン側も彼の熱意に負けて、最後には置くことになったのです。

 

その後は合計350台ものゲーム機をアメリカに送り込んで、
半年で約1億円もの利益を上げたのでした。

この時代にこの行動力って本当に凄いですね!!
これは今だって、できることではありませんよね。

当時は変圧器の問題など、クリアすべき点が多かったですし、
海外に一度行くだけでも飛行機代が何十万円もかかる時代でしたからね。

 

まとめ

インベーダーゲームは昭和のゲームセンターや喫茶店の象徴でしたね。

こんな素晴らしいゲームを輩出できた昭和って、
やっぱり素晴らしく懐の深い時代でしたね。

こんな記事を書いていると、またあのインベーダーゲームがやりたくなってきました。

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