前田日明ってかっこいいですよね。
そして怖いっていう印象がとても強いです。
そして前田の人生も色々とハプニングがあったようです。
それはリングの上でも、リングの外でも
とにかく激しい人生を送ってきたようです。
前田日明って、とても興味深い人ですね!
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前田日明のプロフィール
前田 日明
まえだ あきら
1959年1月24日生まれ
元プロレスラー、元格闘家
韓国系日本人で韓国名は高 日明(コ・イルミョン、고일명)
血液型はA型
大阪府出身
もう見るからに恐そうですね。
ないもしていなくても、なんな怒鳴られそうな気がします。でも、それが前田の魅力であって、
彼のカッコ良さなのかもしれません。
前田日明とアンドレの不穏試合について
ここにプロレスファンの間で語り継がれる試合があります。
1986年4月29日に行われた「前田日明 対 アンドレ・ザ・ジャイアント」の試合です。
これはプロレスの歴史の中でも有名な事件です。
この戦はアンドレと前田の2回目の対戦でした。
実は前田は1984年2月9日を最後に、新日本プロレスを脱退して、
もっと格闘技の色が濃いUWFというプロレス団体に所属していたのです。
しかし、このUWFは1年半で崩壊してしまったので、
前田は再び親日のマットに戻ってきたのです。
それからしばらくして組まれたカードが、
この「前田日明 対 アンドレ・ザ・ジャイアント」の試合です。
この試合は元々前田を潰すために組まれた試合だという噂もあるくらいです。
試合は序盤からおかしな雰囲気で、中盤からは膠着状態となり、
異様な空気が流れるプロレスの試合とは思えないものでした。
放送を予定していたテレビ朝日も、放送を見送ったほどの試合だったのです。
ただし、地方局での放送はされたので、その映像が流出しています。
そしてその映像はファンの間で高値でやり取りされています。
試合経過
序盤はアンドレが優勢に試合を展開しました。
固め技やエルボーなどの技を繰り出していました。
おそらくアンドレは前田のことが気に入らなかったので、
ちょっとお灸を据えてやるといった感じだったよに思われます。
しかし、逆にヒートアップした前田はプロレスの筋書きを無視して、
本気になっていったように思われます。
それからは徐々にアンドレのスタミナも消耗してきて、
前田はどんどんアンドレの足にローキックを連打していったのです。
そうこうしていると、20分過ぎにアントニオ猪木がリングに上って
試合を動かそうと試みました。
それからも足を連打されたアンドレは、戦意喪失となりリングの上に倒れてしまったのです。
その後リング上には殺伐とした雰囲気の中で、
アントニオ猪木、新日軍、UWF軍がリングに上がって、
結局、試合はノーコンテストとなってしまいました。
予定されていた筋書きは何だったのか?
ここで気になるのが、
では最初に予定されていたプロレスの筋書きは何だったのかということです。
『昭和プロレス迷宮入り事件の真相』(井上譲二著/宝島発行)によると、
その筋書きは「アンドレが18文キックからのフォールで勝利」だったそうです。
でも、どうしてこの試合になってしまったのか?
4つの説があります。
「アンドレが仕掛けた説」
「アントニオ猪木黒幕説」
「坂口征二黒幕説」
「ミスター高橋黒幕説」
ただ、『昭和プロレス迷宮入り事件の真相』の見解では、
アンドレが仕掛けたもので、生意気だった前田を懲らしめたかったと憶測しています。
ちなみにこの試合を近くで見ていた船木誠勝がこの試合について語っています。
さすが、そばでみていただけあって、臨場感が伝わってきますね!
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前田日明と高田延彦はなぜ不仲になったのか?
前田日明はある雑誌か何かのインタビューで
高田延彦との関係修復について聞かれた際にこう答えています。
「自分は相手がおかしなことをしても3回までは我慢するけれども、高田はそれをゆうに超えている。」
不仲の原因1 UWFからUWFインターの立ち上げ
以前に前田と高田はUWFという同じプロレス団体に所属していました。
しかし、フロントに不信感を持った前田はフロントを批判したのです。
それで前田は出場ができなくなり、新団体設立のために奔走していたのです。
このとき高田は前田が奔走するのなら、
自分は道場をまとめておくと言ったのですが、
実際にはUWFインターの設立に水面下で動いていた。
不仲の原因2 ヒクソン戦を高田に取られた
最初に高田がヒクソンと試合をして負けました。
それで前田がこれから先は度するのかと聞いたところ、
現時点では分からないし、引退するかもしれないと答えました。
そこで前田は自分がヒクソンと戦おうということで、
ヒクソンとの試合のために話を進めてほとんど試合が決まって居たのですが、
その直前になってPRIDEが高田とヒクソンの第2戦を告知したのです。
そのために、前田は自身とヒクソンの戦いを
放送する予定だったWOWWOWに謝罪に行ったのです。
まとめ
前田日明ってやっぱりすごい人なんですね!
リングの中でも外でも、自分というものを強烈に主張して生きてきました。
でも、私たちはそんな前田が好きなんだと思います。
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