あの80年代の名作ドラマであったスクールウォーズは凄かったですよね。

もう、毎週毎週みんな見てましたし、
その後の再放送もものすごく人気でした。

 

もう、全てに感動していましたし、キャスト達の演技も見事でした。

 

ということで今回は、あの名作ドラマである、
スクールウォーズに迫っていきたいと思います。

 

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スクールウォーズ

スクールウォーズは、京都市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督に就任した
元日本代表フランカーの山口良治の人生が描かれた
ノンフィクション小説である『落ちこぼれ軍団の奇跡』に基づいて作られたドラマです。

 

高校ラグビー界では全くの無名で弱いチームであった
川浜高校ラグビー部(現実では京都市立伏見工業高等学校ラグビー部)が、
滝沢賢治という一人の教師が赴任してから、
わずか数年で全国優勝を成し遂げるという偉業を描いたものです。

 

 

スクールウォーズの3つの見どころ

 

その1 不良少年が更生していく姿
その2 難病を持つイソップとの関わり
その3 教師と不良少年たちとの葛藤

 

あの名ナレーターとして有名だった芥川隆行の「この物語は…」も有名でした。
モデルとなった伏見工業は京都府にあったのですが、
川浜高校は川崎市と横浜市から1文字ずつ取った架空の地域の架空の高校となっています。

また、実際の撮影は川崎市と東京多摩市が多かったのです。

 

そしてこの当時は実際に非行や校内暴力があった時代で、
それをドラマ内でも反映させた暴力シーンや校内をバイクで走り回ったりするシーンなどが
オープニンテーマが流れるシーンでも流されています。

 

スクールウォーズが制作された経緯

これは当時の大映テレビの取締役兼プロデューサーでもあった春日千春という人物が、
滝沢賢治のモデルとなった山口良治の講演会をテレビで見たのがきっかけでした。

 

そして当時の大きな社会問題であった校内暴力を根絶しようという意図で、
ドラマの制作を思い立って、なんと1週間という早さで企画を書いてドラマ化に至ったのでした。

1984年に50歳を迎えた春日は、50歳という節目に
自分自身のドラマ制作の集大成という意味もあったと言います。

 

また、このドラマの元々のタイトルは「落ちこぼれ軍団の軌跡」という、
原作のタイトルから取ろうとしていたのですが、
落ちこぼれ軍団とするのは差別的ではないかという難色を示されたために、
春日は大ヒット映画シリーズの「スター・ウォーズ」からもじって、
「スクール☆ウォーズ」と名付けたのでした。

 

 

このドラマの放送が始まる前に、春日はモデルとなった伏見工業高校を訪れて、
伏見工業の関係者の前で第1話と2話の試写会を開いたのです。

しかしオープニングテーマをバックに繰り広げられた、バイクが廊下を走ったり、
学校の窓ガラスが割られるといったシーンに校長らは絶句したといいます。

 

 

そして伏見工業の関係者らはこれでは学校のイメージが悪くなると
放送差し止めを求めたのですが、それが放送開始4日前ということで、
そういうわけにはいかないとTBS側も予定通りに放送を行ったのでした。

 

そしていざ放送が始まってしまうと、伏見高校ラグビー部OBが
「あの熱血ぶりは(山口良治に)そっくりだ」という好反応を示して、
5話、6話と回が進むうちにドラマに対する異論は無くなっていったのでした。

 

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山口良治のプロフィール

山口 良治(やまぐち よしはる)

1943年2月15日生まれ

元ラグビー日本代表

京都市立伏見工業高等学校ラグビー部総監督

愛称は「泣き虫先生」

福井県出身

 

 

この山口良治という人物がスクールウォーズの主人公である、
滝沢賢治のモデルとなった人物です。

小学校1年の時に母親がなくなったので、父子家庭で育ちました。
そして色々な素晴らしい教師と巡り合ってきたために、
教師という職業を志すことになったのです。

 

中学時代にはプロ野球選手に憧れて、
野球部に入っており、キャプテンも務めていました。

その後は、福井県立若狭高校に進学するも、
この高校が若狭農林高等学校へと変わったために、
野球部が廃部されて、そこでラグビー部に所属することになったのです。

 

大学は日本大学に進学したのですが、
ハードな練習と上級生の理不尽なしごきに不満を抱き
堕落したような生活を送っていたそうです。

その後、このままではいけないと一念発起して
日本体育大学への天候を決意したのです。

しかしそこでの練習は以前の大学のそれよりもさらにハードなものだったのですが、
持ち前の努力家としての資質を活かし、どんどんと頭角を現していったのでした。

 

ラグビー日本代表に1966年に選出されました。

1968年のニュージーランド遠征に参加しました。
1971年の対イングランドとの試合や、
1973年の英仏遠征といった多くの国際試合にも中心選手として出場し、
名フランカー、名キッカーとしてしられていました。

1974年に現役引退をしました。

 

指導者としての実績

 

 

1978年 近畿大会で準優勝
1979年 全国大会ベスト8
1980年 国体優勝(大工大高と引き分け、両校優勝)、全国大会優勝
1981年 近畿大会準優勝
1982年 近畿大会優勝、全国大会3位
1983年 近畿大会優勝、全国大会ベスト8
1986年 近畿大会優勝
1987年 国体優勝、全国大会ベスト8
1988年 国体3位
1989年 国体優勝
1991年 近畿大会優勝
1992年 近畿大会優勝
1992年 全国大会優勝
1999年 全国大会準優勝
2000年 全国大会優勝(監督退任後)
2005年 全国大会優勝(同上)
2007年 選抜大会優勝(同上)
2008年 全国大会準優勝(同上)

 

 

選手としても監督としても本当に素晴らしい実績ですね!
また、人間としても素晴らしい熱いパッションを持っている人です。

伏見高校に赴任してからは、放っておかれている生徒が可愛そうだったと言います。

教師にも放っておかれている生徒をどうにかしたかった、
というのが教員生活の始まりだったのです。

 

また赴任当初は、学校近くのお好み焼き屋に休み時間になると生徒が集まって、
中にはタバコを吸ったりする生徒もいたのですが、
他の教師は見てみぬふりをしていましたが、
山口だけは授業がない時に見回りに行ったりしていたために、
疫病神などとも呼ばれていたのです。

また、不良の生徒の場合には、どんな親なのかを自分の目で確かめるために、
家庭訪問に行ったりもしていたのです。

本当に熱血先生ですね!!

 

イソップは実在していた

スクールウォーズの中で一番印象に残った人物と言えば、
あのイソップなのではないでしょうか?

 

 

でも、あのイソップは実在の人物だったのでしょうか?
それとも、作られた架空の人物だったのでしょか?

 

とても気になります。

 

実は、原作にもしっかりと名前が書いてあり、その名は奥井浩といいます。

この奥井浩という人物は、伏見高校に昭和52年に入学しました。

小人症でもともと体が小さかったそうですが、
レギュラーではなく控えでしたが、努力家でとても頑張っていたそうです。

ドラマの中のあだ名はイソップでしたが、
現実ではイソップではなく、「フーロ―」というものでした。

 

これは小さな巨人という異名を取った、
フランス代表のジャック・フール―から取ってそう呼ばれていたのです。

奥井浩はドラマのイソップと同じように、
小人症を引き起こした脳腫瘍が悪化して、昭和52年8月にこの世を去ったのです。

この奥井浩のことを、山口良治も、たった5か月の付き合いであったが、
貴重なものを残してくれたと言っていました。

 

イソップの現在は?

ちなみにドラマの中でイソップを演じた元俳優の高野浩和は、
その後、27歳の時にアートネイチャーに就職して、毛髪診断士として勤務しています。

 

 

そして2007年からはその抜群の知名度を活かして、
アートネイチャーの広報を務めています。

そしてあの人は今の常連で、度々テレビにも出演しています。

イソップの現在はこちらをクリック!! 

大木大助は実在していた

 

松村雄基が演じた、ワルの大木こと、大木大助です。
この大木にも実在したモデルがいました。

それは山本清悟という刃部とで、中学時代にはすでに
「弥栄の清悟」と名を轟かせて、恐れられた不良でした。

しかし伏見高校ラグビー部に入学すると、
持ち前のラグビーセンスが開花して、高校2年生の時には
高校生だけのラグビージャパンチームにも選出されました。

現在は、奈良県の高校で教鞭をとる傍ら、同校のラグビー部監督を務めています。

 

平山誠も実在していた

 

四方堂亘が熱演した平山誠です。
ドラマの中では川浜高校が全国初制覇した時のキャプテンでした。

それがあの平尾誠二だったのです。

同志社大を卒業した後は神戸製鋼でプレーしました。

イケメンの選手としてもとても有名でしたね。

それからは元ラグビー日本代表監督などを歴任して、数年前にこの世を去りました。

 

スクールウォーズの名言

 

名言その1 「one for all、all for one」

これは滝沢賢治が日本代表の時の回想シーンでの名言です。
一人一人がチーム全体のために在ること、
逆にチーム全体は一人一人のためにあることという意味です。
言い換えればチームワークという意味です。

 

 

名言その2 「信じ待ち許す」

これは滝沢賢治が高校の時の野球部の先生に言われた言葉です。
滝沢賢治はその時、野球をやっていました。
チームメイトが三振してそれを罵倒したところ、
誰も三振したくてしているのではないから、
だからそれを責めるのではなくて、相手を信じて待って許すことが重要であると。

 

 

名言その3 「お前ら、それでも悔しくないのか!」

初めての練習試合で相手に109対0の大差で負けました。
そこで部員達を温かく迎えようとした滝沢賢治ですが、
負けて当たり前、悔しくもないといった態度が見られて、
それに激怒した滝沢賢治の言葉でした。

 

 

名言その4 「俺はこれからお前たちを殴る」

これは109対0で負けた試合の後、
生徒たちが本気で勝ちたいという意思を確認した後に、滝沢賢治が発した言葉です。
この名言の後、滝沢は部員一人一人を殴ったのですが、
それは体罰ではなく、本当の愛のある鉄拳だったのです。

 

 

名言その5 「確実にミスしない方法が一つだけあります。

何もしないことです。でもそれは死んでるのと同じことです。」

これはマークジョンソンの名言です。
人は生きていればミスをするのは当たり前、ミスをする権利があると言っていいでしょう。
だから、ミスを恐れずにのびのびとプレーをして行きましょう!

 

 

まとめ

スクールウォーズって本当に素晴らしいドラマでしたね!

ホントに不朽の名作です。

あれほど印象に残る、そして歴史に残るドラマはないかもしれません。

 

あんな素晴らしいドラマを生み出した昭和という時代は
本当に懐の深い、素晴らしい時代だったのかもしれません。

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