宮沢りえと貴乃花ってビッグカップルでしたね!

このビッグカップルの話題は、当時の日本を席巻しました。
日本の芸能界と角界でトプに駆け上がろうとしている
二人だったので、みんなが驚いていました。

まさに日本中が度肝を抜かれたと言っても過言ではありません。

ということで、今回は宮沢りえと貴乃花について見ていきたいと思います。

 

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宮沢りえのプロフィール

宮沢 りえ
みやざわ りえ

1973年4月6日生まれ

東京都出身

女優

あの大ヒットCMの「三井のリハウス」では、
初代白鳥麗子役を演じて、ちゃくちゃくとスターの道へ。

その後17歳になるとあの「ふんどしカレンダー」でさらに話題をさらいました。
そして翌年には18歳で「サンタフェ」(篠山紀信撮影)で
写真集を発売して更なる話題を提供していました。

貴乃花のプロフィール

貴乃花 光司
たかのはな こうじ

1972年8月12日生まれ

東京都出身

元力士
タレント
絵本作家

角界のサラブレットとして注目されてデビュー当初から話題でした。
話題だけでなく、実力も兼ね備えて数々の最年少記録を打ち立てました。

あの昭和の大横綱の故千代の富士との一番で勝ち、
千代の富士を引退に追いやったの有名な一番です。

宮沢りえと貴乃花の馴れ初めは

当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった、宮沢りえと貴乃花でした。

若貴フィーバーで角界を駆け上がっていた貴乃花と、
写真集『サンタフェ』はテレビで大人気だった宮沢りえがカップルになったことで、
世間は本当に大騒ぎでした。

ルックスも、社会的な地位も申し分のない、
本当に華のある二人だったのです。

そんな大人気で売れっ子の二人が、どういった経緯で知り合ったのでしょうか?

二人の馴れ初めは雑誌での対談でした。
そこで意気投合した二人は、ドキュメンタリー番組でも当時の若貴とりえの3人で
船の上でじゃれあっていたののが印象的でした。

本当にこの2人はきらきらと輝いていました。

 

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宮沢りえと貴乃花の婚約会見

1992年11月27日、宮沢りえと貴乃花は幸せいっぱいの
ツーショット婚約会見を行いました。

11月場所直前での発表でした。

この時、貴乃花は20歳、宮沢りえは19歳でした。

貴乃花はこの時、初優勝したばかりで本当に勢いに乗っているところだったのです。

繰り返しになりますが、この時は日本中が度肝を抜かれました。

宮沢りえと貴乃花の婚約が破棄された

しかしこの会見からわずか2か月後の1993年1月に、
婚約破棄が発表されたのでした。

この報道も日本中に衝撃を与えました。

あれだけ仲が良かった二人がなぜ2か月後にと思ってしまいました。

二人はビッグカップルだっただけに、その衝撃も大きなものでした。

そして貴乃花はこう言いました、

「連絡も取っていないし会ってもいない」

「彼女への愛情がなくなった」

この会見は貴乃花が大関に昇進したのと同じ日に行われています。
一方の宮沢りえもその2日後に破局を認める会見を行っています。

宮沢りえと貴乃花の破局の原因は美川憲一にあり?

この当時、こういった動きをリアルタイムで見ていた筆者は、
当然日本中が何か腑に落ちないものを感じていたのを知っていました。

たった2か月で愛情がなくなったというのは、ど考えても納得できないものでした。

この出来事に唖然としたまま20年以上が経過しました。
そしてときは2014年に、芸能界のご意見番と言われる
美川憲一が、二人を破局させたのは自分であると言ったのです。

これってどういうことなのでしょうか??

美川憲一曰く、人気絶頂にあった二人の婚約を、
りえママに頼まれて破局させたというものなのです。

簡単に言えば、もし宮沢りえが貴乃花と結婚すれば、
部屋のおかみさんにならなくてはいけません。

それは同時に女優業をやめることを意味します。
一般人や他の芸能人と結婚するのとは訳が違います。

そうなると若い衆の面倒を見たり、そういったことが主な仕事になっていくのです。

そこで美川憲一次のように言ったのです。

「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。
私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。
おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」

「あんたもここで、好きだから、って一緒になるんじゃなくて。
もう一回考え直して。女優として大成するんだから」

そして宮沢りえは電話の向こうで泣いていたと言います。
宮沢りえは美川憲一のことを姉のように慕っており、聞く耳を持っていたようです。

まとめ

 

二人の破局は残念なものでした。

しかし、確かに美川憲一の言うように、
相撲部屋の女将になっていたら、
女優としての道はあきらめなければいけませんでした。

そうなると、その後の宮沢りえの女優としての活躍は
見られなかったわけですから、確かに正解だったとも言えます。

そして宮沢りえが女将という仕事を本当に
したかったかどうかもわからないものです。

とにかく今後の宮沢りえをもっと応援していきましょう!

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