宇梶剛士ってかっこいいですね!
背が高くて、ハンサムで、しかも強くて!

男が惚れる男ってこんな人なんだろうと思います。

でも、若い頃は相当なワルだったみたいですね。
あのヒロミも震え上がったくらいの人だと言いますから。

ということで、今回は宇梶剛士について迫ってみたいと思います。

 

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宇梶剛士のプロフィール

宇梶 剛士

うかじ たかし

1962年8月15日生まれ

東京都出身

188㎝

1962年に東京都で生まれた宇梶剛士でした。
出生時は体重がなんと5,000gもあったので、
もう、生まれた時から大きかったんです!

宇梶の父は1級建築士でしたが、
母親の宇梶静江がアイヌ民族の人権活動家です。
アイヌの血を引く、宇梶静江はそのことで色々と差別を受けてきました。
そのために、人権活動家になったのです。

その後の活躍を思わせる生まれ方です。

しかも、この5,000gという大きさから、
東京都の健康優良児の表彰まで受けているのです。

生まれたときは東京で育ち、その後広島にいって、
その後はまた東京に戻ってきて、国立市立国立第一中学校を卒業を卒業したのです。

そして高校は拓殖大学第一高校に入学して、野球部に入っていました。
身長188㎝と大柄だったこともあり、野球の実力もずば抜けていたために、
プロのスカウトが宇梶を見にきたほどの実力の持ち主でした。

子供のころから喧嘩最強!

宇梶剛士は運動神経抜群で、体も大きく、
そして小学校のころからリトルリーグでメジャーリーガーを目指していたために、
とても鍛え上げられた体で、小学校6年の時にはすでに身長も180㎝に迫るところまで来ていました。

宇梶はものすごい強肩の持ち主で、キャッチャーをやっていました。

小学校6年生の時に、中学生の不良から目をつけられて、
27人と喧嘩になったものの、全員をやっつけてしまったのです。

宇梶のかっこいいところは、自分から喧嘩を売ることはなく、
売られた喧嘩だけを買っていたそうです。

そして高校は、甲子園出場経験もある強豪拓殖大学第一高校に進みました。

しかし、高校で待っていたのは先輩部員によるシゴキでした。
そこで宇梶は学校側にそれを抗議に行ったのですが、
それが原因で先輩部員から逆にさらに冷たい態度を取られたのでした。

その結果、1年目はほとんどまともに野球をやらせてもらえなかったものです。

そして1年間まともに野球をやらせてもらえなかった宇梶の怒りは募っていったのでした。
そして、2年生になるとシゴキをしていた先輩部員を暴力でやっつけたのです。

これが原因で拓殖大学第一高校は1年間の出場停止処分を受けて、
宇梶自身は施設に入所させられたのです。

 

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宇梶剛の武勇伝

鑑別所から出てきた宇梶剛士は別の高校に入学しまして、再び野球部に入りました。

しかし、そこでもボールを触らせてもらえなくなったのです。
野球ができなくなった宇梶は、ここも退学したのです。

暴走族の総長に早々と就任

やり場のないエネルギーをぶつける場所として、
関東で最大だった暴走族に入ったのです。

そして加入早々宇梶剛士は三多摩地区のヘッドになることになったのです。
その後、その暴走族全体のヘッドになるとして、
当時の総長のところへ一人直談判に行ったのです。

それからしばらくして当時の総長が引退するにあたり、
宇梶剛士がその族の7代目の総長になったのです。

宇梶はその喧嘩の強さと統率力を買われて、満場一致での決定でした。

17才でこの暴走族の総長に就任した際の集会では、バイク600台で1200人、
車100台で400人ほどが集まったと言われています。

その後、宇梶が総長となり本格始動すると、
その数は2000人にまで拡大していったようです。
そして1年もしないうちに宇梶の名前は関東全域に広がったのでした。

 

1000人の中へ一人で突進

暴走族の仲間と一緒に200人くらいで湘南までバイクを走らせていました。
すると地元の暴走族が集会を開いており、その数はざっと1000人ぐらいいたそうです。

かなりの数に恐れおののいた他のメンバーたちは、全員逃げていったようです。
しかし、宇梶だけは逃げませんでした。

驚いたことに宇梶は一人その中に突っ込んでいき、
先頭に居座っていた20人くらいを一気に蹴散らしたのです。

その溢れんばかりの気迫に圧倒された相手側は、
戦士を喪失してその場を去っていったそうです。

 

抗争事件で施設に入る

宇梶剛士は暴走族の総長として鳴らしており、
抗争に明け暮れていたのでした。

しかし18歳の時に、遂に逮捕されて少年院に入れられてしまったのです。
しかし、この時母親が差し入れしてくれたチャップリンの本を読んで、
俳優を目指すことにしたのでした。

どんな困難からも立ち上がって、何度も何度も失敗しながら
最後には成功を掴んだチャップリンの生き方にショックを受けたのでした。

また、ここを出てから3つ目となる明治大学付属中野高等学校定時制に入りました。
そしてバスケットボール部に入り、
東京都の大会で優勝するほどチームを強くしたそうです。

彼の身体能力はものすごいものがありますね!

まとめ

あのタレントのヒロミも若い頃暴走族でした。
その彼にも「僕らがガキだった頃、とんでもなく有名だった人」と言わしめています。

だからやっぱり宇梶剛士って本物だったんですね。

その身体能力、運動神経と統率力は素晴らしいものがあります。

これからはそんな素晴らしさを、俳優の道で活かしていって欲しいと思います。

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