八代亜紀って美人ですね。
本当に昔から色っぽくて艶やかで、本当に美しいです。
特に若い頃は超絶べっぴんでした。

そしてなんといっても、歌が上手い。
これはもう、素晴らしいうまさだと思います。

だからこれだけの長い間に渡って、日本の芸能界で人気を保っているんですね。

ということで今回は、八代亜紀を語ってみたいと思います。

 

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八代亜紀のプロフィール

八代亜紀

やしろ あき

1950年8月29日生まれ

熊本県出身

八代亜紀は子供のころから音楽、歌というものに触れて育ってきたのです。
父親が八代亜紀のために歌ってくれた浪曲を、
子守唄として聞きながら育ってきたのでした。

そうした影響もあり、八代は歌好きの子供になり、
地元の歌唱コンクールなどにも出場していた。
もうこの頃からはスキーボイスでした。

そんな八代亜紀に転機が訪れます。
それは、小学5年生の時、父親があるレコードを買ってきました。
それは、ジュリー・ロンドンという人のレコードだったのです。
ジュリー・ロンドンは八代と同じはスキーボイスだったのです。

それからというもの、それまでコンプレックスっだと思っていたハスキーボイスを、
自分の素晴らしい個性であると認識するようになっていったのです。

そのことがきっかけで、クラブ歌手になりたいと思うようになっていったのです。

中学卒業後、地元熊本県ののバス会社のバスガイドとして働いていたのですが、
どうしても夢を諦めることができませんでした。

そこで父親から大反対をされたのですが、15歳で上京し、
銀座のクラブ歌手となり、歌っていたのです。

テイチクより1971年に「愛は死んでも」でデビューしました。

そして1973年には「なみだ恋」で120万枚の大ヒットを飛ばしたのでした。

ヒットはそれだけにとどまらず、
その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」
「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」
「おんな港町」「愛の終着駅」

といった曲で軽々とヒット曲を連発していったのでした。

『舟唄』の大ヒット

作詞: 阿久悠
作曲: 浜圭介

1979年にはあの名曲『舟唄』が大ヒットしたのです。
これはそれまでの女心を歌った演歌とは一線を画した、男歌だったのです。

テイチクはこの『舟歌』で、1979年の日本レコード大賞を狙って作った曲だったのです。
この曲の作詞は阿久悠のもので、
八代亜紀は最初のフレーズを聞いただけで、大ヒットの予感がしたそうです。

この曲は元々、「阿久悠の実践的作詞講座」という
『スポーツニッポン』の連載の中の美空ひばり編の教材として作られたものだったのです。

そして作曲は阿久悠とのコンビで『街の灯り』(歌・堺正章)を作って以来、
作曲家として一発逆転を狙っていた浜圭介が担当することになったのでした。

 

レコード大賞の結果は?

レコード大賞を狙ったこの曲でしたが、結果はどうなったのでしょうか?

1979年暮れの第21回日本レコード大賞では、
第10回日本歌謡大賞にノミネートされました。

しかし、日本レコード大賞は金賞で
日本歌謡大賞は放送音楽賞という受賞にとどまったのでした。

 

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『雨の慕情』の大ヒット

作詞:阿久悠
作曲:浜圭介
編曲:竜崎孝路

そして1980年にはあの大ヒット曲である「雨の慕情」がリリースされたのでした。
この曲は前年の『舟唄』に続いて、阿久悠と浜圭介のコンビでした。

「舟唄」「雨の慕情」「港町絶唱」と合わせて、八代亜紀が歌う哀憐三部作とされています。

 

レコード大賞の結果は?

1979年の『舟唄』ではレコード大賞を狙っていたのですが、
惜しくも達成することはできませんでした。

しかし、この『雨の慕情』では見事、日本レコード大賞・大賞を受賞したのです。
これ以外にもこの年の音楽賞をすべて総なめにした感がありました。

ゴールドディスク

第22回日本レコード大賞・大賞
第11回日本歌謡大賞・大賞
第6回日本テレビ音楽祭・グランプリ
第6回演歌大賞・名人賞
第13回日本有線大賞・有線音楽賞
第13回全日本有線放送大賞・優秀スター賞
第9回FNS歌謡祭・最優秀視聴者賞
第7回横浜音楽祭・祭賞
第6回全日本歌謡音楽祭・優秀歌唱賞

さらにこの年の紅白でも大トリを務めるなど、
1980年は『雨の慕情』の年であったと言っても過言ではありません。

1979年の『舟唄』でレコード大賞を取ることはできませんでしたが、
2年かけて取るっていうのも本当に凄いですね!

一度だって取れない人が何十万人といる中で、
狙ってレコード大賞を取るってこれは驚愕の事実です。

その阿久悠の思考回路も凄すぎますが、
それを見事に表現した八代亜紀にも脱帽です!!

さすが八代亜紀!!!

八代亜紀がジャズを歌うワケ

八代亜紀は演歌歌手だけではありまあせん。

日本コロムビアに所属しながら、ジャズシンガーとしても活動しているのです。

2012年には元ピチカートファイブの小西康陽プロデュースによる、
アルバム『夜のアルバム』を発売したのです。

このアルバムはユニバーサルミュージックジャパンからリリースされ、
世界75か国で同時配信されました。

八代亜紀のバイタリティーは強く、
歌手活動42年目で世界デビューを果たしてしまったのです。

マレーシアのiTunes Storeジャズチャートで1位、シンガポール2位、
台湾4位、香港7位、オリコン・アルバムチャートのデイリーチャートで最高9位、
週間チャートで最高20位を記録し、ヒット作となった。
オリコン・アルバムチャートTOP20入りは34年ぶりである。
11月9日にジャズ歌手としてブルーノート東京のステージに立った。

なぜこれまで演歌歌手だった彼女がジャズも歌い始めたのでしょうか?

その理由は、冒頭でも触れたジュリー・ロンドンだったのです。
父がたまたま買ってきたあのジュリー・ロンドンがはスキーボイスで歌う声を聴いて以来、
ジャズ・ボサノヴァへの興味は、子供の頃から原点として、
ずっと八代亜紀の中にあったのだそうです。

まとめ

八代亜紀って素晴らしい歌手ですね!

演歌という分野だけに限らず、色々なジャンルをこなしていっています。
いくつになっても変化を忘れない、
そして違った一面を私たちに見せてくれることが、
彼女の魅力なのかもしれません。

俳優の渡辺謙がハリウッドで大活躍するように、
八代亜紀にもそういった何かを感じることができます。

これからの八代亜紀がますます楽しみになってきますね。

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