誰もが知る伝説のロックバンドBOOWYです。
その2大巨頭と言えば氷室京介と布袋寅泰です。
BOOWYが人気絶頂で解散したのも、二人の確執が原因とも言われています。
今回はこの2人の確執を中心に見ていきたいと思います。
スポンサーリンク
Contents
布袋寅泰との関係と確執について
人気バンドBoowyのメンバーだった氷室京介と布袋寅泰。
氷室京介はボーカル、そして布袋寅泰はギター担当でした。
二人はBoowyの中心的な存在だったのですが、実は不仲だったのではないかという噂がありました。
この噂は1987年のBoowyの解散発表で頂点に達します。
大変人気のあるバンドが、一体なぜ解散してしまうのか?
その理由は、実は氷室京介と布袋寅泰が不仲だったからではないのか、と噂されたのです。
二人の出会い
氷室京介も布袋寅泰も群馬県高崎市の出身で、
通っていた高校は違っていましたが、高校時代にバンドを組んで演奏活動をしていました。
二人が出会ったのは、その頃でした。
不良として有名だった氷室京介。
一歳年下の布袋寅泰はそんな氷室を、不良だが歌は抜群にうまいと思っていましたし、
地元ではベストボーカリスト賞を総なめにする、最強のボーカリストだったと、
布袋も自身の口から後年語っています。
氷室京介は1980年に、
ボーカルとして所属していたバンド「スピニッチパワー」を音楽性の違いから脱退します。
一時は音楽を諦めるつもりでしたが、
RCセクションのライブを観て、新しくバンドを結成しようと思います。
そして布袋寅泰に連絡し、自分のバンドへの参加を持ち掛けます。
布袋寅泰は承諾し、他のメンバーも揃い、バンド「暴威」が結成されます。
1982年にバンド名は「Boowy」に変更されました。
解散しようと持ち掛けたのは布袋寅泰
Boowyの解散を最初に言い出したのは、布袋寅泰だったそうです。
ほとんどの曲を作曲し、Boowyのサウンドプロヂューサーだった布袋寅泰ですが、
自分が本当にやりたい音楽をする為に解散を持ち掛けたのかも知れません。
1986年12月16日に長野市民会館で行ったライブの後、
ホテルのバーで、解散についてメンバー全員で話し合ったようです。
メンバーの間では以前から冗談半分に、一位を取ったら解散しようと話していたそうです。
「Just a Hero」という曲がメンバーにとっても満足の出来る仕上がりとなり、
「Beat Emotion」が一位となり、
商業的にも成功を収め、解散の話が現実味を帯びてきたのです。
ブレイク後ファン層が変わり、アイドルのように扱われる事に違和感があったようです。
また何をやっても全てを賞賛されてしまうと、そのことも更なる違和感になっていったようです。
布袋は後に、レコードがたくさん売れれば、別にロックのファンではない人も入ってきて、
音楽を聴くのではなく、ただ単にキャーキャー言っているだけなのではないか、
と感じ、だんだんと味気なくなり、ファンとの温度差も生じ、
自分達の音楽が本当に理解されているのだろうかと感じるようになった、と語っています。
本当に自分たちの音楽を聴いているのか、
BOOWYがやることをただキャーキャー騒いでいるだけなのかという不信感が募ってきたようです。
マスコミには一切公表されていなかったにもかかわらず、
1987年12月24日渋谷公会堂で解散する、という情報がファンの間で拡散されていました。
一部ファンや音楽ライターの間では、活動後期の歌詞や活動内容から、
年内解散が予測されており、そこから口コミとしてひろまったようです。
氷室との確執の原因
布袋寅泰は、Boowyの人気もまだそれほど出てなかった1985年に、歌手の山下久美子と結婚しました。
人気歌手の山下久美子との結婚という事で、周囲はかなり驚きました。
ギタリストとして山下久美子をサポートしていた布袋寅泰は、
結婚後、山下のツアーに同行する事が増えます。
そして、Boowyのメンバーにも、山下のバックバンドメンバーに
ならないかと持ち掛けたりするようになりました。
実際、ベースの松井恒松もドラムの高橋まことも誘われ、
ボーカルの氷室以外のメンバー全員で山下のツアーに行こうとしたのです。
1986年発売のアルバム「Just a Hero」は、氷室一人で打ち込み作業をしました。
その時の事を氷室は、Boowyのメンバー同士の関係性が大人になっていった、と後に語っています。
布袋が、Boowyのメンバーのほとんどを山下のバックバンドメンバーへ引き抜いた為、
まとまっていたバンドがぎくしゃくしてしまい、結果的に氷室と布袋の間に
確執が出来てしまったと言われています。
このように、二人の不仲が解散の原因ではないかという噂もあります。
そしてここでできた確執がBOOWY解散の一番の理由であるとも言われています。
ただ、氷室は解散後のインタビューで、布袋は最高のギタリストだと思っていた、と語っています。
そして布袋も自分が嫌いな人の横でギターを弾けるわけがないし、
そんな理由で解散等出来ない、とも語っているのですが、
解散後の彼らはメディアの前では言葉を濁しているのも事実です。
スポンサーリンク
布袋寅泰との再会と共演
Boowyの解散後、氷室はBoowyのドラマーだった高橋まことと自分のライブで共演し、
布袋も高橋まこと、松井恒松と共演した事がありました。
しかし、氷室京介と布袋寅泰が共演した事は一度もありません。
2016年の氷室京介最後のライブの時、布袋は自分のブログに、
氷室京介の最後のステージは、せめて一曲でもいいから隣でギターを弾かせてほしい、と書いていました。
氷室京介と布袋寅泰の共演を願うファンは多くいましたが、その願いはかないませんでした。
ライブ活動を引退してしまった氷室京介。
ある音楽業界関係者は、Boowyの再結成は100%あり得ないと断言しています。
残念ですが、もう二人の共演を見る事はないのかも知れません。
また、2019年には布袋のアルバム制作に、
松井と高橋が呼ばれ、ロンドンでレコーディングが行われたのですが、
もちろんそこに氷室が呼ばれることはありませんでした。
また、2011年に東北大震災が発生した後に、
BOOWY復活の気運が高まったのですが、
この時も氷室がソロで全曲BOOWYを歌うというアクションを取ったために、
一夜限りのBOOWY復活も実現しませんでした。
吉川晃司と布袋寅泰
吉川晃司と1988年にComplexを結成した布袋寅泰。
同じマンションに住み、二人でハワイ旅行に行ったりと、非常に仲の良かった二人。
ボーカリストとしては未熟な布袋と、ソングライターとしてスキルの足らない吉川は、
お互いに足りない部分を補う事の出来る関係としてバンドを立ち上げました。
布袋のキャッチーなサウンドと、吉川のパワフルなボーカルが見事に融合したデビュー曲は、
クオリティーの高い曲に仕上がり、オリコンチャート第一位を獲得しました。
ところが、そんなスーパーユニットComplexは、わずか1年半で幕を閉じます。
1990年に無期限活動休止を発表したのです。
二人の音楽性の違いが原因だったようで、デジタル技術を多く使い、
海外でも通用する音楽を作りたかった布袋に対し、吉川はアナログ志向でした。
吉川は、ユニット結成当初から二人の感覚のずれを感じていたようです。
一方布袋も、商業的な成功以外得るものがなかった、と語っています。
そして2名目のアルバムの「1990」では、お互いが一切顔を合わせることなく、
別々にスタジオに入ってレコーディングしたそうです。
また、二人は飲み屋でつかみ合いの喧嘩になったとも言われています。
また、布袋は実はかなりわがままなのではないかとも言われています。
一緒に仕事をした藤井フミヤも冗談っぽく
「あの人、ものすごいわがままでしょ」と語っていたようです。
おそらく布袋寅泰はとても無邪気で我儘な人なのでしょう。
魅力的な一面でもありますが、他人と長く付き合うには協調性も必要です。
でも、その我儘さは良い曲を書くために必要な、
いつまで経っても必要な純粋さなのかもしれません。
吉川晃司は町田康を殴る
また2007年に布袋は、ロック歌手で芥川賞作家の町田康を殴りました。
これで町田康は千葉県君津署に被害届を出しました。
車で一緒に千葉県内の布袋の別荘から帰る途中に、
車内で音楽活動に対して口論となり、トラブルになったもようです。
いくつになっても布袋はヤンチャですね!
でもそこが彼の魅力なのかもしれません。
まとめ
ビートルズの解散もジョンとポールの確執とも言われています。
やっぱり人気バンドの解散は、
そのバンドの2大巨頭の確執にある場合が結構多いみたいですね。
こういったことって、避けられないことなのでしょうか?
でも、やっぱりミュージシャンはとがっているくらいでちょうどいいのかもしれませんね!
それが彼らのカッコよさですから。
でも、BOOWYがもう一度見たいと思うのは
筆者以外にもたくさんの人がいるのは事実です。
スポンサーリンク