竹内力って迫力ありますよね!
日本のこわもて俳優の中でもひときわ存在感があります。

最近ではバラエティー番組で、怖いけどひょうきんな一面も見せていますが、
デビューしたての頃はさわやかでかわいい男の子路線を走っていたのです。

でも、いつのころからかこわもて路線に来てしまいました。

だからこそ、とっても興味深い人物だと思います。

ということで今回は竹内力に迫ってみたいと思います。

 

スポンサーリンク







ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

竹内力のプロフィール

竹内 力
たけうち りき

1964年1月4日生まれ
大分県出身
180㎝

大分県立佐伯豊南高等学校卒業
三和銀行淡路支店に勤務歴あり

 

若い頃は本当にさわやかなイケメンでしたね!
カッコ良かったですね。

当時でいうと、加勢大周とか吉田栄作とか、ああいった路線だったように思います。

高校を卒業してからは、銀行員として仕事をしていた時期がありました。
そしてその当時東京に出出てきていた友人の誘いで、
竹内力も上京したのです。
それからライブハウスでウエイターとして仕事をしていた時に、スカウトされました。

1986年には『キャバレー』『彼のオートバイ、彼女の島』で映画デビューしました。
その当時は上述したように、さわやかな2枚目としてテレビや映画で活躍していました。

101回目のプロポーズ

実はあの大ヒットドラマの101回目のプロポーズにも出演していました。
その時は、さわやかな好青年役だったのです。

しかし、この役は自分とは違って、とても演じるのがつらかったと語っています。
このドラマの時は髪の毛をわざと下げて、好青年に見えるようにしていたそうです。

そのストレスで、頭には10円ハゲができてしまったと言います。

そして田舎の友人にも、あの役はあっていないと言われたりしたそうです。
また、監督にも歩き方がガニ股だと言われたりして、
とても撮影現場は居心地の悪い空間だったようです。

 

スポンサーリンク




ミナミの帝王

しかし、その後はすっかり路線変更して、
こわもての迫力のある役柄を多く演じるようになりましたね。

Vシネマで、『難波金融伝・ミナミの帝王』などの多くのヒットを飛ばし、
哀川翔と竹内力也は「Vシネマの帝王」と呼ばれるまでになったのです。

ただ『ミナミの帝王』シリーズ初期は、
大阪弁が話せなくて、とても苦労したようです。

竹内力はミナミの帝王シリーズに1993年から主演していて、本当に当たり役でした。

竹内力の役は、萬田金融の萬田銀次郎と言います。
この役がとにかくはまって、Vシネマを代表する作品となっています。

そしてこの萬田銀次郎というキャラクターはある程度自分で作りあげたと言っています。
例えば、原作の漫画では眼鏡をしていますが、
映画のほうで竹内はサングラスをかけたり、
スーツも車も自分で選んだりして、キャラクターを自分で作りあげていきました。

そうこうしているうちに、漫画のほうが竹内力演じる萬田銀次郎をまねてきたと言います。
また歩き方までもが、漫画がだんだんと竹内力に近づいてきたようです。

だから、とても演じやすかったそうです。

上述もしましたが、哀川翔とは2人でVシネマの帝王と言われていたのですが、
ライバルといった想いはなかったようです。

ミナミの帝王 DVD COLLECTIO [ 竹内力 ]

価格:14,328円
(2019/4/4 01:25時点)
感想(1件)

ミナミの帝王の降板理由

ミナミの帝王をヒットさせて、ずっと演じてきた竹内力ですが、
2009年にミナミの帝王を降板することになったのです。
そしてこれは大きな話題になりました。

本人はやる気満々で、次のストーリー展開なども考えていたようですから、
本人にとっても、ファンにとっても残念な降板でした。

その理由に関してですが、様々なことが言われています。

ただ、最も納得できる説としては、
2000年代に入ってから、ビデオが売れなくなってきたので、
資金が集まらなかったというのが最も大きな理由のようです。

まとめ

竹内力はこわもての役をやり始めてから、大きな存在感を獲得しました。

これだけイメージが変わった俳優も少ないように思います。
さわやか好青年から、その道の人を演じるなんて。

そして今はバラエティー番組でひょうきんな面を見せています。

誰かが言っていたのですが、
生き残っていける生物は強いものではなく、
変化していけるものだという言葉です。

竹内力も自分を変えて、この厳しい芸能界で
何十年も生き残っていくすべを身につけたのだと思います。

スポンサーリンク







おすすめの記事