星野高士って知ってますか?

この人は、俳句を詠む俳人なんです。

更にこの人の家系が凄いんです。

星野椿の息子、星野立子の孫で高濱虚子、
星野天知の曾孫にあたるという
日本俳句界のサラブレッドの様な人なんです。

 

まさに生まれた時から俳人になることを
運命づけられてきたような生粋の俳人です。

今回は、そんな星野高士について書いてみたいと思います。

 

スポンサーリンク




ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

星野高士プロフィール

星野高士
ほしのたかし
1952年8月17日生まれ
神奈川県鎌倉市出身
祖母星野立子に師事した経歴を持つ

いかにも俳人といったお顔をされていますね。
とても知性溢れる顔です。

 

この顔を見ているだけで、
俳句をしている人なんだなと感じます。

人間的に深みのある感じですね。

 

やはり俳句などを通して、
感性を常に研ぎ澄ませていると、
そういったものがにじみ出てくるんですね!

 

職歴

鎌倉虚子立子記念館館長
日本伝統俳句協会会員
本文芸家協会会員
朝日カルチャー講師
FMラジオパーソナリティー
ホトトギス同人

 

著書
「星野立子 蝸牛俳句文庫」
「美・色・香 俳句創作百科」

 

星野高士の代表句はこちらです

白桃や人と人間は違う

星野高士の作品はこちらのリンクから

 

http://hoshinotakashi.jp/haiku.html

星野高士の評判はどう?

星野高士の評判は素晴らしいものです。

さすがは日本俳句界のサラブレッドというだけあって、
彼の歌には深いものがあります。

そのために多くのメディアから引っ張りだこになっています。

 

星野高士が俳句でも意識しているのはたった一つです。

あの高浜虚子がと共通するものがあります。

それは「平明」という表現です。

 

「平明」というのは、簡単な誰にでもわかる言葉で、
深いことをわかりやすく表現することなのです。

難しいことを難しい言葉で言っても誰も分かりません。
そこで、カンタンな言葉で
誰にでもわかるように表現することが大事だと言っています。

 

コミュニケーションや伝達能力に優れた人は、
相手に難しく考えさせずに、
シンプルに伝えることができます。

俳句は人間の感性を豊かに

星野高士によると、
俳句をやっているからこそ使える言葉があるといいます。

それは俳句をやっていたために知ることのできた言葉が
たくさんあるからなのだそうです。

 

だから俳句をやっていると、
非常に日本語のボキャブラリーが増えていくといいます。

例として、「囀(さえずり)」という言葉があります。

 

この言葉が春の季語あると知って以来、
鳥の声を聴くことに、深みと味わいが出てくるのです。

ある食べ物がある季語だということが分かれば、
それまでとは違った味わい方ができるようになるのです。

更に言うと、その満ち欠けによって、
月の名前が変わる言語は日本語だけです。

 

満月、十六夜、十三夜、三日月、立待月(たちまちづき)等々。
一見しただけでは、その月の状態は大きく変わりませんが、
よく観察すると微妙に違っていて、明るさの違いもあるのです。

 

それを楽しむことができるようなったのも、
まさに俳句のおかげであるといいます。

このように俳句には、人間の想像力や
感受性をさらに豊かにすることができると言っています。

これが俳句が長い歴史の中で愛されて、
日本文化に根付いてきた最大の理由であると
星野高士は考えています。

 

そして幼い時からの環境のせいもあって、
俳句に出会えたことにとても感謝しているといっています。

スポンサーリンク




俳句とは相手を喜ばせるための言葉の芸術

星野高士は、俳句というのは表現法法を磨いてくれる
素晴らしい手段であると考えています。

 

たとえば、カラスが塀にとまっているのを表現するときに、
本当は「塀にとまっているカラス」と言えば簡単なのだけれど、
「五・七・五」という制限の範囲内では
どうしても文字数が足りなくなることが出てきてしまうのだそうです。

 

そういった場合に「塀」という単語をいかに省いて、
カラスが電線にとまっている様子が、
相手の頭の中に浮かんでくるようにするには、
どうすればよいのかを考えます。

 

このようにそこを突き詰めて考えてみることで、
洗練された表現を思いつくことができるのだそうです。

俳句というのは「美」人に伝える日本の芸術です。

そしてもっと大切なことは、
句を読んだ相手の心が救われたり、
勇気づけられたりしなくてはいけないのです。

そうでないと俳句として生み出された価値がないのです。
そういった役割のないものは、単なる言葉の羅列であって、
俳句という一段高いところにある芸術ではないのです。

このところ、俳句のなかにはそれを読む人のことを
考えていない俳句も見受けられます。

 

例として、「夏の夜風」という季語を使った俳句を作るとします。
この時に、この「夏の夜風」は二度とこない、
二度と味わえないということを伝えたいとします。

でも、これを伝えるのが難しいのです。

 

ただ単に夏の夜風が気持ちよかった、
では、誰でもできます。

「どんな夏の夜風がどんな感じで吹いていたのか?」
「夏の夜風の形は?」
「夏の夜風の色は?」

といったことを想像して、深く考えて感じてという作業を行います。
そうすると、自分の中の言葉のフィルターを通すことができるのです。

そしてそこから出えてきた言葉は、それを上手く表現するもので、
その情景を相手に上手く伝えることができるのです。

これができた時に、深い部分から相手のことを
喜ばせることができる素晴らしい俳句が完成されるのです。

 

そこが俳句の醍醐味であり、興味深いところなのです。

まとめ

今回は星野高士について書いてみました。

 

俳句という日本の伝統文化を
後世まで伝えてくれる
大切な役割を持った人ですね!

こういった人がいるからこそ、
日本の文化が伝承されていくのです。

 

今後も星野高士の活躍を応援していきましょう!

スポンサーリンク




おすすめの記事