独眼竜政宗って素晴らしい大河ドラマですね!

あのドラマ以来、大河ドラマのイメージが変わりましたし、
大河に対するイメージがガラッと変わりましたね。

あれから候補地が大河ドラマの誘致合戦まで始まったくらい
大河に対するイメージを変えた作品でもあります。

と言いうことで今回は、独眼竜政宗に迫ってみたいと思います。

 

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独眼竜政宗

独眼竜政宗

どくがんりゅうまさむね

1987年(昭和62年)1月4日から12月13日まで放送されたNHKの大河ドラマで、
自分自身の才覚で仙台藩62万石の礎を築いた、
戦国武将であった伊達政宗の生涯を描いた作品です。

NHKが行った調査で、一番好きな大河ドラマに輝いています。

『独眼竜政宗』の平均視聴率は39.7%と今でも歴代トップの座にあります。
そして瞬間最高視聴率は47.8%となっており、
これは、『赤穂浪士』の53%と『武田信玄』の49.2%に続く第3位の記録となっています。

また、「梵天丸もかくありたい」というセリフは流行語になりました。

斬新な手法1 オープニングで革命

この『独眼竜政宗』はオープニング映像でも常識を変えたものでした。
それまでのオープニングというと、風景などの単純な映像が流れるだけであったのですが、
『独眼竜政宗』のオープニングはアバンタイトルの映像に合わせて音楽が流れて、
それと一緒に題字が現れると言うものです。

斬新な手法2 宣伝ポスター

また、宣伝用のポスターも斬新でした。
特殊効果を使ったり、タキシード姿の渡辺謙が眼帯をして兜を持ったり、
時代劇の枠を超えた色々な工夫がされて、視聴者に訴えかけていたのです。

斬新な手法3 正宗の遺骨の映像

また、番組では伊達政宗本人の遺骨の映像が映し出されたのです。
これは1974年の発掘されたもので、
何百年の時を超えて残っており、
この骨を科学的に鑑定したことによって、正宗の生前の顔や姿かたち、
血液型までも推定できたといいます。

このドラマでは、それらを第1話のアバンタイトルで紹介して、
また最終回のラストでは再び正宗の頭蓋骨を映して完結となったのです。

 

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主役は渡辺謙ではなく当初は西城秀樹だった

これはNHKが後年になって認めた事実なのですが、
当初の予定では主役は西城秀樹にオファーがいったのです。

しかし、NHKはそれを断られたので、
新進気鋭の若手俳優の渡辺謙にオファーを出したのです。
渡辺謙はこの作品で国民的な人気を得ることになったのです。

ただ、西城秀樹が主役を務めていたらどうなったでしょうか?
それもそれで面白い作品になったとは思いますが、
渡辺謙の大成功があるので、これは渡辺謙にとって完全なはまり役であったと思います。
だから、西城秀樹が主役をやったとしても、
本当に渡辺謙の正宗を超えられたかどうかはいささか疑問です。

また、渡辺謙に決まったもう一つの理由は、
1986年に放送されていた『はね駒』に出演していた時に、
「眼がいい」と言われたためでした。

ただ、この政宗役があまりにもはまり役だったために、
そのイメージを払しょくするのが難しく、その後の役者人生で苦労したそうです。

渡辺謙と勝新太郎の対面

この作品まで渡辺謙はそれほど知名度が高くない役者でした。
この時までに大きな名声を築いた勝新太郎でした。

この関係が、そのまま

「政宗=奥羽の若き大名」
「秀吉=老成した天下人」

に当てはまったのでした。

 

このように配役が決まったのですが、渡辺と勝はクランクイン前に一度挨拶をしただけで、
ドラマの中で初めて顔を合わせるまで敢えて、顔を合わせなかったのです。

そして二人が初共演となる小田原参陣で対面するシーンはリハーサルなしで行われたのでした。

このシーンを撮り終えた後、勝新太郎は渡辺謙に次のように声をかけたのです。

「いい眼をしていたぞ!!」

まとめ

『独眼竜政宗』ってやっぱり最高の大河ドラマですね!

30年以上の時間が流れても、
まだこうしてその話題で盛り上がれるというのは、
あのドラマが偉大だったという何よりの証です。

またまたに再放送をやって欲しいですね。

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