キャンディーズよかったですよね!
当時凄い人気で、まさに人気絶頂での解散でした。

「普通の女の子に戻りたい」という名言を残して
彼女たちは解散していきました。

でも、それだけ人気があったのに、
どうして解散してしまったのでしょうか?

不仲だったのでしょうか?
そして再結成はどうしてなかったのでしょうか?

色々な疑問に包まれています。

ということで今回は、キャンディーズの解散にまつわる話をしていきましょう!

 

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キャンディーズの人気絶頂での解散

人気絶頂であったキャンディーズは、1977年の夏に突然解散を発表したのです。

日比谷野外音楽堂で行われた7月17日のコンサートの終わりに、3人は涙を流していました。
ファンもスタッフも3人はコンサートを終えた達成感から泣いていると思ったのです。
しかしこの後、信じられない言葉が発せられたのです。

最初に口火を切ったのは伊藤蘭でした。

 

伊藤蘭「私たち皆さんに、謝らなければならない事があります。」

藤村美樹が「ごめんなさい!!」と叫ぶ。

伊藤蘭「私たち今度の9月で解散します。」

田中好子「私たちデビューの時から3年間はがむしゃらにやろうと決めてました。」

このようにして、ファンに謝罪が行われました。

それから伊藤が泣きながら「普通の女の子に戻りたい!」
といった言葉はとても印象的で当時の流行語にもなり、
今でも語り継がれる名言となっています。

 

 

そして事態は動きます。
翌日キャンディーズの所属事務所の渡辺プロが、緊急記者会見を開いたのです。

また7月18日の『夜のヒットスタジオ』へ生出演の際、
キャンディーズは改めて謝罪するに至ったのです。

というのは、3人は所属事務所の承諾を得ずに解散発表をしたため、
渡辺プロには根耳に水だったため、大混乱を招いてしまったと言われています。

しかし、本当はキャンディーズは事務所と何度も話し合っていたのですが、
なかなか認めてもらえずに、あのような強行突破をするしかなかったというのが真相のようです。

もともと売れても売れなくても、3年間と決めており、
事務所との契約も1976年9月30日まででした。
しかし『春一番』がヒットしたために契約は1年延長されて1997年9月30日までとなったのです。

その後もキャンディーズは事務所との話し合いを何度も持っていたようですが、
それでも合意を得られなかったために、強行突破に至ったのです。

 

解散宣言を皆の前でしてしまった以上後戻りはできないということで、
ここで再度事務所との話し合いがもたれ、
解散はそこからおよそ6か月先送りされることになったのです。

このあまりにも電撃的で衝撃的な解散発表を行ったために、
逆にキャンディーズの人気はそこから急上昇してしまったのです。
そしてラストシングルの「微笑がえし」で、オリコン1位を獲得したのです。

実は、これがキャンディーズにとって最初で最後の1位ですから意外ですね!

このようにそれまでのオリコンでのシングル1位が無かったため、
ファンや関係者からの最後はどうしても1位を獲得させたいという、応援があったのも事実です。

BOOWYといったバンドにもありましたが、
キャンディーズは解散によって、さらに人気が高まったのです。

そしていよいよ1978年(昭和53年)4月4日に解散コンサートの日がやってきました。
後楽園球場には当時としては最大の5万5千人のファンが集まったのです。
これはマスコミに歌謡界史上における最大のショーと言われました。
そしてこのコンサートで4年半の活動が終わることになったのです。

 

このコンサートは3日後の4月7日に全国放送されました。
関東地区では平均視聴率32.3%という高視聴率を記録しています。
そしてこれは単独アーティストによる音楽番組としては、歴代1位となっています。

ここら辺でもキャンディーズの凄さが分かりますね!
本当にすごい記録です。

そして最後の「本当に私たちは、幸せでした!!」も有名になりました。

キャンディーズの解散理由は?

では、それだけの人気を誇っていたキャンディーズですが、
どうして解散してしまったのでしょうか?

その理由が気になりますよね。

昔のアイドルというのは売れれば売れるだけ辛くなる部分があったのです。
それは、睡眠時間も遊ぶ時間もほとんど無いという、
まさに殺人的なスケジュールで働かされていたために、
精神的にも肉体的にも限界を感じていたというのが真相のようです。

 

日々の平均睡眠時間が3,4時間で休みも無く、
収入も低く、プライベートも限られてくるという生活が数年続くと、
これは誰でも精神的に参ってしまいます。

当時のキャンディーズの多忙ぶりですが、
1977年のコンサートは、全国で80回以上行われています。

そしてこのあたりのテレビのレギュラー番組は週3本

1.テレビ朝日みごろ!食べごろ!笑いごろ!
2.NHKレツゴーヤング
3.TBS全員集合

 

こういったテレビ番組は、リハーサルがあるのでさらに時間を取られます。

これ以外にも単発で歌番組に出演していました。

 

さらにラジオのレギュラー番組は週2本ありました。

1.文化放送GOGOキャンディーズ
2.TBSラジオヤングタウンTOKYO

そしてレコード販売に至っても多忙でした。

 

LPレコードを8枚とシングルEPレコード4枚をレコーディングして発売しています。

やはりこうなってくると、本人たちは相当に辛くなってくると思います。
だから、あの「普通の女の子に戻りたい」というのも、
彼女たちの心理状況を端的に反映した見事な表現だったのかもしれません。

 

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解散後もキャンディーズは仲良し?

これについては、基本的には解散後も仲が良かったようです。

キャンディーズが所属した「渡辺プロダクション」の専務取締役で、
諸岡義明はキャンディーズの3人とは解散後も交流を続けてきました。

2008年3月に放送されたフジテレビ「ウチくる!?」の収録に立ち会った時に、
諸岡義明は元キャンディーズの3人を東京駅まで車で送ったのが、
キャンディーズのフルメンバーと会った最後でした。

 

諸岡によると、3人は解散してからも食事会をずっと継続してきたようです。
解散してからもみんな仲良しだったと話していました。

これ以外にも3人の中の良さは、色々なところで報じられています。

キャンディーズが再結成しなかったワケは?

となると、どうして再結成しなかったのかという謎が深まります。
これは色々な要素があると思います。
伊藤蘭と田中好子はそれぞれ、女優として成功していました。

そして藤村美樹は芸能界の仕事をほとんどしておらず、
3人の都合も合わなかったのは確かです。

 

でも、解散したピンクレディーが再結成したり、
他の解散したバンドが再結成したりしていた中で、
キャンディーズの再結成ムードも再三あったのは事実です。

それでも再結成しなかった理由を、あの音楽評論家の酒井政利は、
センターをめぐるプロ意識があったからだと見ています。

酒井政利も3人は解散後も仲が良かったことは認めていますが、
そこにはプロ歌手ならではのプロ根性も存在していたと推測しています。

デビュー当時は田中好子がセンターをやっていたのですが、
5thシングルの「年下の男の子」から伊藤蘭がセンターを取るようになったのです。
お姉さんキャラの強かった伊藤蘭をセンターに持ってきて、
グループの雰囲気を変えることが目的だったのです。

 

ただ、この変更と同時にキャンディーズは売れ始めたのです。

そしてこれが伊藤と田中のライバル心を
燃やす結果にもなったと、酒井政利は見ています。

現代のアイドルのモーニング娘。やAKB48やがセンターにこだわることにも通じるところです。

もし再結成したらどっちがセンターを取るのかといった部分で、
二人の意識の中でせめぎあいがあったと憶測しています。

 

確かに再結成して順当なら伊藤蘭がセンターでしょうが、
成長した田中好子は自分がセンターにもっとふさわしいと感じるかもしれません。

この二人のプライドが再結成を拒んだと酒井は見ています。
しかし、このライバル意識は健全なものであって、全く悪いものではありません。

言い換えれば尊敬の念といったものです。
だから3人は解散後もお互いを尊敬しあって、仲良くいられたのだと思います。

まとめ

キャンディーズは本当に素晴らしいグループでした。

もっと活動して歌を聞かせて欲しかったです。

 

そして再結成を見たかったのは事実ですが、
再結成しないでくれたからキャンディーズは永遠なのかもしれません。

再結成しなかった理由などを色々と考えて、
思いを巡らすこともファンとしての楽しみの一つです。

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