萩原健一は役者の中の役者でした。

すごみのある演技を見せてくれて、
本当にありがとうございましたと言いたいです。

なんともいえない、男らしさと存在感がありました。
昭和出身の役者の一人として、絶対に忘れられない人です。

本音を言うら、もっと演技を見せて欲しかったです。

ということで今回は、萩原健一に迫っていきましょう。

 

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萩原健一のプロフィール

萩原 健一
はぎわら けんいち

本名
萩原敬三
はぎわら けいぞう

ニックネーム ショーケン

1950年7月26日生まれ
2019年3月26日没(68歳)

埼玉県出身

174㎝
O型

 

若い頃はカッコよかったですね。
もちろん年を取ってからもカッコよかったですけど、
違った魅力がありました。

年を取ってからは渋みを増してきたのですが、
若い頃はやんちゃな感じの魅力がありましたね。

でも、ずっとカッコ良かったのは確かです。

高校生の時にスカウトされました。
そしてザ・スパイダースの弟分的なバンドである、
ザ・テンプターズのボーカルとしてデビューしました。
この時はまだ17歳でした。

そして高校は2年生の時に中退しました。
高校中退っていいうのがかっこいいですね!

1968年には「エメラルドの伝説」、「神様お願い!」、「おかあさん」
といった曲でヒットを飛ばして人気を獲得しました。

1970年にテンプターズは解散しました。
その後は音楽活動より、映画監督を志していったのです。

1972年にある映画の助監督として現場にいたのですが、
主役が突然降板したのを受けて、代役として主役に抜擢されたのです。

このあたりが不思議な縁です。

その後は『太陽にほえろ』のマカロニ役を見事に演じて、人気を不動のものにしたのです。

1972年に音楽活動を停止して、俳優一本に専念すると、
次々と映画やドラマに主演していきました。

今度は1975年に音楽活動を再開したのです。
そしてあのショーケンの代表曲である『大阪で生まれた女』をリリースしました。

1990年以降は再び音楽から離れ、俳優業をメインに活動していました。

その後の活躍はみなさんご存じのとおりです。

テレビドラマ

『太陽にほえろ!』
『傷だらけの天使』
『前略おふくろ様』
『祭ばやしが聞こえる』
『豆腐屋直次郎の裏の顔』
『琉球の風』
『課長サンの厄年』
『外科医柊又三郎』
『冠婚葬祭部長』
『元禄繚乱』

 

映画

『八つ墓村』
『影武者』
『誘拐報道』
『恋文』
『激動の1750日』
『居酒屋ゆうれい』

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そして2019年3月26日午前10時30分、
東京都内の病院にてGISTのため死去。
68歳でした。

この病気との闘いは2011年から始まっていたのですが、
本人の希望で病名の公表などはされていませんでした。

GISTは非常に稀な病気でその消発症率は、
年間に10万人に対して1人から2人くらいという極めて少ないものです。

萩原健一の結婚歴について

1回目の結婚


1975年にはモデルの小泉一十三と結婚しました。
二人は女の子をもうけたものの3年で離婚しています。

 

2回目の結婚


そして1980年に女優のいしだあゆみと結婚しました。
しかし1984年に離婚をしました。

ただ、このいしだあゆみとの関係については、
2008年に発表された自叙伝『ショーケン』の中でいしだあゆみとは入籍せずに、
事実婚状態であったと記載されていました。

同年4月3日発売の『週刊新潮』では、本当は入籍していたと、
翻った記事が書かれていました。

 

3回目の結婚

3回目の結婚はヘアメイクの女性です。
結婚していたのは事実なようですが、入籍期間などは一切不明です。

 

4回目の結婚

そして2011年にはモデルの冨田リカと結婚しました。
この人がショーケンの最期を看取った女性です。

結婚した際には、
「今まではジェットコースターのような人生だったけれども、これからはメリーゴーランドのようなゆっくりした人生を歩みたい」
と今後の結婚生活について語っていました。

 

その他の女性遍歴

また、1985年には女優の倍賞美津子とのツーショットが撮られています。
この時カメラマンと編集者に対して暴行して、書類送検されています。

それ以外にもバイオリニスト前橋汀子や女優の石田えりとの関係もあったと噂されています。

これぞ昭和の生んだモテ男って感じですね!!

 

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萩原健一の子供について

上述のように、1回目の結婚で小泉一十三との間に女児をもうけています。
名前は「羽衣子(ういこ)」と言います。

1975年から1978年くらいの間に誕生したようです。

これが萩原健一のたった一人の子供です。

萩原健一と小泉一十三が離婚した後は、母親の小泉一十三と一緒に暮らしていました。
母と神戸市に住んでいました。

娘への養育費を送らなければならなかったのですが、
その後に何度か逮捕されていたので、かなり経済的に大変だったようです。

しかし、あのショーケンが着ぐるみなどのアルバイトをして稼ぎ、
一回も滞ることなく、養育費の支払いを済ませたそうです。

あのショーケンが着ぐるみなどのアルバイトというのには驚きましたね!

そして1995年には阪神大震災では被害に遭ったらしく、
そのときショーケンは横浜の自宅に娘を呼んで、1ヶ月半ほど一緒に暮らしたらしいです。

娘の羽衣子(ういこ)は芸能関係の仕事はせずに、
一般の普通の仕事をしているようです。

萩原健一と松田優作との関係は?

萩原健一と松田優作、この二人って雰囲気が似ていますよね。

男くささを売りにした俳優です。

そうなってくるとこの二人の関係はライバルだったのか、
また、不仲だったのかと考えてしまいます。

そこで二人の関係について調べてみました。

2008年に出版された自叙伝『ショーケン』の中で、
松田優作について語っているくだりがあります。

それによると、ショーケンは松田優作のことをライバルとは全く思っていなかったようです。
しかし、松田優作はショーケンをライバル視していて、
なんとか追い越そうと必死でもがいていたそうです。

それに対して、1981年の『週刊明星』で松田優作はそれを認める発言をしていました。

自分はショーケンに追いつき追い越せでやってきていると。
でも、一生抜けない気がしてならない。
『太陽にほえろ』もショーケンが抜けてから、松田優作が入ったわけです。

だからいつも数歩先にはショーケンが走っている感覚だったと言っていました。
だからこそ、松田優作自身も頑張れたそうです。

まとめ

 

昭和生まれの素晴らしい俳優を亡くしてしまいました。

カッコ良かった、男っぽかった、
ワイルドだったしやってきた悪行も彼のキャラクターに合っていて、
どこか許せてしまうところがあったのです。

これからこんな素でもやんちゃな俳優が出てくるのでしょうか?
きっとそれは難しいことだと思います。

今夜はショーケンの映画を見ながらテキーラでも飲みたい気分です。

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