あの子供向け教育番組の「できるかな」
で人気者だったノッポさんです。
あの番組を毎週楽しみに見ていた
子供時代の記憶があります。
ゴン太君と登場してくるノッポさんは親しみやすいけど、
絶対にしゃべらないというちょっとミステリアスなキャラクターで、
子供たちの心を掴んでいました。
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ノッポさんのプロフィール
高見 のっぽ
たかみ のっぽ
旧芸名:高見 映
たかみ えい
本名:高見 嘉明
たかみ よしあき
1934年5月10日生まれ
京都府太秦出身
俳優、作家
『なにしてあそぼう』『できるかな』(NHK教育、1967年 - 1990年)
で親しみやすいが一切しゃべらないキャラクターを務めあげました。
ノッポさんは京都は太秦の俳優の息子として誕生しましたが、
4歳から東京都に移り住んで育ったのです。
しかし、小学校4年の時に岐阜県に疎開して、
高校2年まで過ごしたのですが、
高校3年の時には東京に戻ってきて高校を卒業しました。
ノッポさんがしゃべらなかったワケ
ノッポさんの父親の高見嘉一は俳優や芸人であり、
チャーリーチャップリンのモノマネを得意としていたのです。
父の影響で芸で生計を立てることを志したのです。
ノッポさんはダンサーとして芸能人生をスタートしたのですが、
なかなか目が出ずに悩んでいました。
しかし30代半ばで転機が訪れたのです。
なんとNHK教育『なにしてあそぼう』(後の『できるかな』)の
ノッポさん役に選ばれたのでした!!
この番組に出演しているときは、
一切しゃべらずに、意思表示はゼスチャーのみというキャラクターを演じて、
全国区の知名度を得るに至ったのでした。
なぜノッポさんがしゃべらなかったかというと、
それはノッポさんの父親がチャップリンの真似が得意だったために、
チャップリンの影響を受けたためでした。
ノッポさんの身長は?
ノッポさんはとても背が高いですね。
だからノッポさんなんですが、身長は何センチあるのでしょうか?
答えは181㎝です!!!!
1934年昭和9年生まれの人としては、かなり大きかったと思います。
以前にテレビで生島ヒロシが自分たちの世代の高身長は170㎝だと語っていました。
生島ヒロシは1950年(昭和25年)生まれの人の世代でも
高身長は170㎝でしたので、昭和9年生まれの人が181㎝というのは
かなり大きかったと考えられます。
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ノッポさんがしゃべった日
絶対にしゃべらないキャラクターであったノッポさんですが、
実は最終回で遂に言葉を発したのです!!
番組の中で必死に自転車をこいで、
息が上がったまま急にノッポさんがしゃべりだしたのです。
ただ、これは台本にはなかった完全なノッポさんのアドリブだったのです。
「あ~あ、喋っちゃった!今日は特別なんです。長い間ね、皆と友達でいたけれど、
四月からこの番組は『ともだちいっぱい』という新しい番組と代わります!」
ノッポさんの人柄
ノッポさんの最初で最後の喋りは視聴者に向けてのお別れの挨拶だったのです。
この時の衝撃は半端なく、ノッポさんを見て育った大人も驚いたそうです。
そして街を歩いている大人でさえも、泣き出してしまう人がいたそうです。
ノッポさんはその後に自身の著書『ノッポさんがしゃべった日』を著しています。
この本の中で次のように振り返っています。
「大きくなったお客さんは僕を見に戻ってきた……いや、違う。
僕を見に来たのではなくてノッポさんに会いに来た……
ノッポさんに会いに来たのではなくて、小さかった頃の自分に会いに来た」
こういったところからもノッポさんの人柄が感じ取れますね。
ノッポさんをみて育った大人が泣き出すのも理解できま。
そして番組が終了してから寄せられた手紙には、
「今まで本当にありがとう」の言葉が多かったそうです。
ノッポさんの現在
では現在のノッポさんは何をしているのかが気になりますね。
2019年で85歳になるノッポさんですが、
現在は楽曲制作や作家として活動されています。
また、2017年には自叙伝となる
「夕暮れもとぼけて見れば朝まだき~ノッポさん自伝〜」を出版して、
トークショーやサイン会をするなど元気に活動をしています。
また2018年には村上信夫のトークライブにも出演して、
まだまだ精力的な活動を続けています。
ノッポさんが元気にいてくれるのは、本当に嬉しい限りです!
まとめ
やっぱりノッポさんって素晴らしい人ですね!
あの人柄があったからこそあの番組の成功があったんだと思います。
その素晴らしい人間性が画面を通して伝わってきたのだと思います。
やっぱり『できるかな』の成功は、
ノッポさんの素晴らしさをなくしては、絶対に成立しなかったのだと思います。
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