石原裕次郎って昭和の大スターでしたよね。
そして大スターらしい逸話も残っています。
それが、あの松田聖子と愛人関係にあったというものです。
これって結構、巷では言われていることですが、
その真相はいったいどうなのでしょうか?
凄く気になりますよね。
ということで今回は、
石原裕次郎と松田聖子の関係について迫ってみましょう!
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石原裕次郎のプロフィール
名前:石原裕次郎(いしはらゆうじろう)
愛称:タフガイ・裕ちゃん・ボス
生年月日:1934年12月28日(52歳没)
血液型:A型
出身地:兵庫県神戸市
職業:俳優 歌手
所属:石原プロモーション
身長:178cm
松田聖子のプロフィール
名前:松田聖子(まつだせいこ)
本名:蒲池 法子(かまち のりこ)
愛称:せーこちゃん
生年月日:1962年3月10日(55歳)
血液型:A型
出身地:福岡県久留米市荒木町
職業:歌手
所属:フェリシアクラブ
最終学歴:堀越高等学校卒業
身長:160cm
石原裕次郎と松田聖子の関係はどうだったのか?
石原裕次郎と松田聖子は愛人関係にあったという噂があります。
これって一体どうだったのでしょうか?
石原裕次郎と松田聖子は歌番組で共演しました。
そこで、二人は仲よくデュエットをしたのですが、それを検証してみることにしましょう。
その時の二人の姿は、まるで愛し合う二人のような感じだったのです。
二人が共演した曲は、
「ハワイアン・ウェディング・ソング」というかなりロマンチックな曲だったのです。
英語の歌詞を低音を響かせて歌う石原裕次郎もカッコよかったです。
しかし、このデュエット中の2人の様子がちょっと変なのです。
それは、最初から最後まで二人はお互いをずっと見つめあっているのです。
やがて感極まった聖子は泣き出してしまうのです。
そして聖子を慰めるあのように、石原裕次郎が優しく抱きしめるのです。
本当に恋人なのって思ってしまうくらいの二人です。
芝居で泣くのは分かりますが、歌を歌っている途中でこの涙というのは、
ちょっと違うように感じます。
こちらがその実際の映像です。
この時、松田聖子は神田正輝と新婚ほやほやでした。
しかも、石原裕次郎は二人の結婚式の仲人を務めた人物です。
ですから、普通に考えれば愛人関係なんて考えられないことです。
しかしこの熱々のデュエットを見てしまうと、
交際していたのは本当だったのではと思ってしまいます。
筆者の見解
これはあくまで筆者の見解ですが、二人は愛人関係にあったと思います。 ですから、この噂はネットができてから、ネット上で作られた噂ではないのは確かです。 |
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神田沙也加の父親説については?
そしてこの噂に関しては続きがあります。
実は神田沙也加の父親が石原裕次郎だったというものです。
松田聖子は神田正輝と結婚する前に、郷ひろみと交際していたことは周知の事実です。
しかし、1985年1月23日に松田聖子は涙の破局会見を行います。
そしてあの破局会見からたった1カ月で神田正輝との電撃結婚を発表したのです。
その後、2人は1985年6月24日に結婚しました。
1986年10月1日に松田聖子が神田沙也加を出産するという、
なんとも不可思議というか早すぎる展開を見せたのです。
このあまりにも早すぎる展開に、周囲は驚きました。
この異常なまでに早すぎる展開のせいで、
神田沙也加が石原裕次郎の子供ではないかと噂されています。
これに関しても、いくつかの情報を当たってみました。
そうすると、これは単なる憶測にすぎないという人が多かったです。
それは、やはり神田沙也加は神田正輝に顔が似ているという点などが挙げられています。
筆者の見解
神田沙也加の父親に関しては、やはり神田正輝だと思います。 もし、これが結婚から半年もたたないうちに生まれた |
まとめ
芸能界って怖いところなんですよ。
何をもって怖いと言いうのかは人それぞれですが、
普通の考えの人たちには考えられないことが、度々起こってくるのがこの世界です。
だからああいった世界でやっていけるのかもしれません。
上述もしたように、筆者は石原裕次郎と松田聖子の関係はあったと考えています。
でも、何十年たった今でもこのように語り継がれるのが、
二人がスーパースターであった所以なのではないでしょうか?
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