BOOWYの初期のメンバーってちょっと入れ替わってましたよね。
諸星アツシ、深沢和明、そしてこの木村マモルと言う3人が、
BOOWYが売れる前に脱退していったメンバーです。

そこでこの記事では、

木村マモル(元BOOWYとスピニッジパワーのドラム)はSHEIHITSUとして活動?

といったことを中心にこの木村マモルについて迫ってみたいと思います。

 

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木村マモル

 

BOOWYでの担当楽器はドラム

1981年5月脱退

木村マモルは氷室京介がBOØWYを結成する前にボーカルを
務めていたバンドであるスピニッジ・パワーのドラムを担当していました。

木村マモルは元々プロデューサーになりたかったので、
高橋がBOOWYに入るまでのサポートメンバーという位置づけでした。

そして1981年5月に脱退してから、
アルバム『INSTANT LOVE』(1983年制作)のプロデュースを手掛けたことでも知られています。

 

 

現在も音楽プロデューサーとして活動していますが、
2012年からは「SEIHITSU」名前でミュージシャンとしても音楽活動を再開しています。

木村マモルとスピニッジパワーとの関係

この当時アマチュアミュージシャンの登竜門としていられていた、
ヤマハ主宰の「EAST WEST」というバンドのコンテストがあったのです。

この大会の関東甲信越大会で氷室と松井が在籍していた「デスペナルティ」というバンドと
布袋が在籍していた「BLUE FILM」というバンドが決勝で争い、
その結果氷室のバンドであった「デスペナルティ」が優勝を飾ったのでした。

また、この大会で氷室はベストボーカリスト賞も受賞したのです。

 

 

 

この優勝をきっかけに彼らはBeingという音楽事務所と契約をして、上京したのでした。

そして東京で練習をしていた時に、
実力がないということでバンドを解散させられてしまったのでした。

それから、氷室は新しいバンドであるスピニッジパワーに、
ボーカルとして加入することになったのでした。

このスピニッジパワーの第3期のドラムとして、木村マモルも加入したのでした。

スピニッジパワーが1979年12月12日にリリースした
「ボローボローボロー」という曲が氷室のレコードデビューの曲でした。

このバンドは当時はやっていたディスコ風な音楽スタイルだったのです。

また、「ホットサマーレイン」という曲も出しています。

 

しかし、このバンドも氷室にとっては自分の音楽性とは違い、
このバンドを脱退して、新たな音楽活動を模索したのですが、
それもうまくいかずに、本気で群馬に帰ることを考えていたのでした。

そんな頃、氷室はRCサクセションのコンサートを見て、
もう一度やり直してみようと再起を決意するのです。

 

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木村マモルとBOOWYとの関係

そこで氷室は群馬時代から知っていたあのギタリストの布袋に声をかけました。

その後にデスペナルティが解散して以来活動の場所を失っていた
松井も参加することになったのです。

それから諸星アツシと深沢和明という布袋の昔のバンドのメンバーが招集されて、
氷室がスピニッジパワー時代に唯一気があった木村マモルを連れてきたのです。

この時点で、氷室、布袋、松井とそれプラス、
木村、諸星、深沢という6人体制の「暴威」が結成されたのでした。

しかし、1981年に元々プロデューサーを志していた木村マモルが
脱退したいと言い出して、
その後釜として高橋まことが加入することになったのです。

元々の彼の希望をBOOWYのメンバーは知っていたために、
それは仕方がないということで、木村の脱退はすんなりと進んだようです。

それから上述のように、木村は1983年に発売された
「INSTANT LOVE」のプロデュースを手掛け、
このアルバムの録音とプロデュースとして、木村マモルの名前がクレジットされています。

その後も音楽プロデューサーとして、活動を継続しています。

SEIHITSUとして音楽活動

上述のように、2012年からSEIHITSUという名義で
独自の音楽活動を開始しました。

 

 

まとめ

BOOWYの初期の頃って、結構色々なエピソードがあって、
とても興味深いものがありますよね。

その1ページを彩ったのが、この木村マモルでした。

現在はSEIHITSUとして音楽活動をしているようですが、
彼の今後の音楽活動にも期待ができます。

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