ビートたけしは1994年にバイク事故を起こしました。
あれは本当に大きな事故で、顔面マヒという状態になり、
良くても植物状態だろうと言われていたのです。

しかし、そこから奇跡的に回復して、
その後も素晴らしい活躍をしています。

特に映画では事故後のほうが才能が発揮されて、
様々な賞を海外で受賞しています。

ということで今回は、ビートたけしのバイク事故に迫ってみたいと思います。

 

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ビートたけしのバイク事故について

この事件はビートたけしが、1994年(平成6年)8月2日午前1時40分、
東京都新宿区の安鎮坂付近をオートバイで入っているときに起こりました。

これは完全な自損事故で、頭に重傷を負ったものです。

事故を起こした後は、大学病院に救急搬送されてなんとか命は助かったものの、
その後の治療などのために、約半年間にわたってテレビ出演ができませんでした。

また、この事故は酒気帯び運転だったので書類送検されました。
しかし起訴猶予処分となったのでした。

退院した時に行った記者会見では、大きな反響を呼びました。
それは顔に大きな麻痺が残る状態で登場したからでした。

この記者会見で本人は、顔面麻痺が治らなかったら芸名を『顔面マヒナスターズ』にするなど、
自分の怪我をネタにしていたのが芸人らしくて印象に残っています。

事故で生死をさまよっているときに、前年に亡くなった逸見政孝が出ていたそうです。
あれは「まだ死んではいけないよ」というメッセージだったとインタビューの時にこたえています。

また、会見の時に原節子からもらった数珠を着けて出ていました。
しばらくたってからあの数珠がバラバラになったそうですが、
これは病気がよくなっている証拠だと考えて、それを拾い集めなかったそうです。

ビートたけしは細川ふみえの自宅に向かう途中だった?

これは噂ではありますが、事故の前にビートたけしは、
細川ふみえの家に向かう途中だったと言われています。

その根拠となるのが、たけしがこの事故の1週間前に
細川ふみえとの関係をスクープされていたことです。

ビートたけしのマンションに細川ふみえが出入りするところを
週刊誌にスクープされて、たけしがTVで記者会見を開いたくらいです。

この会見でたけしは、否定も肯定もせずに、
集まった報道陣に対して三択問題を出して、
それを選ばせるという形で、けむに巻いた形で終わっています。

報道陣にこの三択の中から、好きなものを選べということでした。

このように、たけしは賢い話術でこの状況を切り抜けたので、
否定も肯定もせず、真相は闇の中といった状況でした。

そして時は2014年に細川ふみえが出演したテレビ番組で、
たけしとは友人であり、愛人ではなかったといった発言をしました。

2人とも、このように不倫関係、愛人関係を認めていないのですが、
本当のところはどうだったのかはっきりしないといところです。

 

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事故の第一発見者は諸星和己

あの大事故の第一発見者はなんと、元光GENJIの諸星和己だったのです。
これについては、当時の会見では言及されませんでしたが、
2014年に放送された番組でビートたけしが語っています。

"「実はあんまり覚えてねぇんだよなぁ、どこで事故ったかは。
でも、そういえば、オレのことを諸星が見つけてくれたんだよな、たしか」"

実は諸星和己とビートたけしはとても仲が良かったのです。
そして、諸星和己も3日間だけたけし軍団に所属していたという話もあるくらいです。

それは諸星がジャニーズ事務所を辞めた直後くらいに、
「ウチに来い」と誘われたのだそうです。
そして諸星がもらった芸名は、「諸モロ出し」という芸名だったそうですが、
それが嫌で直ぐになめたのだそうです。

たけしは、何かにつけて諸星の面倒を見ていて、
芸能界に嫌気が差してやめようとした彼を引き留めたのもたけしだったのです。

その当時、たけしは諸星のために毎日にように食事やお酒を飲みながら一緒にいてくれたのです。

まとめ

ビートたけし、北野武は日本の宝です。

あの事故から生還して、戻ってきてくれたのは本当に嬉しいですね。

冒頭でも記述した通り、たけしはあの事故の後に、
映画監督として、大輪の花を咲かせました。

だからきっとあの事故で何か、違うものを獲得したのかもしれません。
ビートたけしのこれからがもっと楽しみです。

ビートたけしを応援していきましょう!!

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