ツービートってものすごい人気ありましたよね!

あの漫才ブームをけん引した一組です。
日本の漫才師の中でも、ナンバーワンかもしれません。

今でも彼らを超えられる存在はいないのかもしれません。
日本における漫才というものをメジャーにしてくれましたね。

ということで、今回はツービートについて迫ってみましょう。

 

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ツービートのプロフィール

ツービート

メンバー

ビートきよし(本名:兼子二郎)
ビートたけし(本名:北野武)

1972年結成

やっぱりこの二人の存在感って、独特ですね!
ツービートは何か持ってます。

顔を見ているだけで面白そうな感じが伝わってきますからね。
本当に、素晴らしいお笑いコンビでしたね。

元々、浅草で兼子二郎(ビートきよし)も北野武(ビートたけし)も修行をしていたのです。
たけしの師匠として有名なのがあの深見千三郎です。

初めのころたけしはフランス座の同僚であった、
愛称「カーキー」という人物とコンビを組んでお笑いをやっていたのです。

しかし、このカーキーが神経性の病気から入院したため、
このコンビは自然消滅したのでした。

そしてビートたけしはビートきよし出会うことになったのですが、
師匠の深見千三郎は弟子の漫才を認めていなかったので、
ビートたけしを即刻破門したのです。

ツービート結成当時は、きよしがネタを作っていたのです。
きよしのボケにたけしが突っ込むというスタイルでした。

しかし、この形ではあまり人気が出ない時期が続いたのでした。
その時には色々と試してみたのですが、状況は一向に変わらなかったのです。

 

ツービートになる

もう何をやってもダメ、何を試してもダメといった、
完全なる八方ふさがりの状況が続いていたのです。

そこできよしとたけしの役割を完全に逆にした形で、
コンビ名もツービートと改名したのです。

たけしがものすごいスピードでしゃべり、それに対してきよしがぼそっと突っ込む。
このような漫才へと変わっていったのでした。

そしてこれまでの漫才ではタブーとされていたものをどんどん取り入れていったのです。
いわゆる毒舌とされる、「ジジイ」「ババア」といった単語を連発して、
客に媚びない漫才がとても人気を呼んだのでした。

しかしこの毒舌ぶりから、初めのころは使う側のテレビも怖がっていたようでした。

そういった状況でしたが、彼らの人気はうなぎのぼりで、
漫才ブームの最初のころは月の収入が30万円程度だったにもかかわらず、
ブームの絶頂期では半月で1600万円だったと言われています。

とにかく、日本で一番人気があった漫才コンビの一つでした。
そして面白かった!!

 

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ツービート伝説の仕事

大人気となったツービートですが、売れない頃も長かったようです。
その時には、かなり凄い仕事も引き受けていたのです。

それが現在では、「ツービート伝説の仕事」とまで言われています。

伝説の仕事1 マジックを始める

ツービートが飲み屋で漫才をしていた時のことです。
そこの客はツービートの漫才など全く聞いていませんでしたので、
たけしがどれだけしゃべっても無駄でした。

そこできよしが「マジックやるよ」といって、マジックをやりだしたのです。

伝説の仕事2 チャンバラ漫才

ツービートはある時、ステージでチャンバラ漫才をやりました。
シナイを持ってきて、それで叩き合ったのです。

しかし、間違って一番前のお客さんのことを殴ってしまったのです。
そうしたら、その客が起こって殴り返してきたのです。
それを見ていた周りの客はそれをネタだと勘違いして、大うけしたそうです。
そしてたけしはそれで鼻血が出たそうです。

その後、楽屋に戻ったたけしに支配人がとても面白かったと絶賛してくれたそうです。
そしてその支配人が「そういえばあのもう一人のタレントさんは誰ですか?」
と言ったので、たけしは「あれは普通の客です」と答えたのでした。

一世を風靡したツービートにも、こんな時代があったんですね。
とても最初は苦労されたようです。

ツービート最後の仕事

売れない時期が8年、売れてから5年、
その間の全盛期が2年だったとビートたけしは語っています。

だから本当に長い下積み時代があったんですね。

最後の営業は新潟だったのです。
その時、二人はすでにツービートが終わっていることを感じていたのです。

そして二人の中で売れない頃に苦労したところから、
売れて大爆発するまでの思い出が走馬灯のようによみがえってきたと言います。

その仕事の後、たけしはきよしに色々と謝罪したのです。

「悪かったな。」

「売れるために、お前のこと色々と怒ってしまって。」

「許してくれ。」

2人は大泣きしたのです。
わんわん泣いたのです。

ビールを飲んでその夜2人は倒れるまで飲んだのでした。

これはもう、文字にすることができないくらい、そんな切ない場面でした。
上述もしたように、これだけ長い間一緒に戦ってきた2人なので、
本当にたくさんの辛い思い出、楽しい思い出があったのだと思います。

苦楽を共にした人との別れは、本当に辛いものですね!

ツービートが解散しないわけ

このようにツービートの実際の活動は終わっています。
でも、ツービートは解散はしていないのです。

それはどうしてでしょうか?

それをたけしが重みのある言葉で語っています。

それはまたもし、漫才でもやろうとなった時に、
解散と言ってしまうとできなくなってしまうので、
それが嫌だから解散はしないのだそうです。

これだけ苦楽を共にした間柄だから、絆だけは残しておきたいのだそうです。

本当に重みのある言葉ですね。
たけしの情に厚いところが垣間見えます。

この動画でたけしがツービートの最後と
解散しない理由について、しんみりと語っています。

その言葉通り、二人は何年かに一回テレビで漫才を披露しています。
この二人の漫才がまだ見れるというのは、本当に幸せなことです。

まとめ

ツービートってやっぱり凄いですね!
日本を代表する漫才コンビです。

その二人の実際の活動は終わっても、2人の絆はこうして残っている。
嬉しいですね。

ツービートは多くの日本人を笑いの渦に巻きこんでくれました。
本当に素晴らしいコンビだったと思います。

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