塚原心太郎ってご存知ですか?

塚原心太郎は下半身に障害があります。
でも、車いすテニスを中心に、
スポーツで大活躍しているんです。

 

ここまで二人三脚で、
お父さんの圭司と一緒にここまで歩んできました。

 

そんな訳で、今回は塚原心太郎に迫ってみましょう!

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塚原心太郎プロフィール

2006年生まれ
2018年時点で12歳
山梨県出身
車いすのテニスプレーヤー

 

写真出典元 http://estclub.co.jp/news_topics/2704/

 

とても頭のよさそうな顔をしていますね。

きっと学校での成績もすばらしいのではないでしょうか?

 

もうすでに、都会的なイケメンになっています。
将来は俳優や、
テレビに出る仕事についたらよいと思います。

学校でも女子からモテモテらしいですよ!

塚原心太郎のこれまでの主な戦績

仙台~札幌~那覇 3,000kmでたすきをつなぐ「障害者日本縦断駅伝」(2012年)

第1回東京車いすテニスジュニア大会 オレンジボールの部でも準優勝(2015年)

全国パラ駅伝(2018年)

塚原心太郎の父は

塚原心太郎は下半身に障害が残っているため、
車いすテニスを中心に活躍しています。

 

2018年3月に行われた
「全国パラ駅伝」の山梨県代表にも選ばれたほどの
実力者である、塚原心太郎です。

 

 

父である圭司はこれまで塚原心太郎を
ずっと支えてきました。

 

しかし、思春期に突入してきた息子と
どう関係を保っていけばよいのか悩んでいると言います。

しかし、そんな手探り状態でも
二人は大会に臨んだり
スポーツを一緒にやっていくことにしました。

 

塚原心太郎はもともとシャイで、
周囲に助けを求めるのが苦手なのです。

 

そんな息子に、父親の圭司は、
障害者の先輩たちがそんな時にどうするのかを見習って
多くのことを学んでほしいと考えています。

 

塚原心太郎が車いす生活になったわけ

塚原心太郎は3歳の時に悲劇に襲われます。
交通事故に遭い、脊髄に損傷を起こしてしまったのです。

これが原因で車いす生活になってしまったのでした。

 

事故当時、彼はしばらくの間とても落ち込んでいたようです。
その心身共に負った傷は、計り知れないものだったようです。

しかし、ここからが塚原心太郎のすごさが発揮されることになってきたのです。

 

車いす生活になって以来、
しばらくふさぎ込んではいたものの、
彼は自分で何かスポーツをやりたいと言ってきたのです。

それは5歳の時でした。

 

そうすると彼の両親は心太郎を
千葉県内にある子供の車いすのテニスチームに連れていってくれたのです。

心太郎は目の前で繰り広げられていた、
車いすテニスに取りつかれてしまったのです。

 

そこから車いすテニスにどんどんのめり込んでいったのでした。

そこから、持ち前の運動神経の良さが発揮されてきたのです。

 

そしてテニス以外にも、駅伝大会まで出場することになったのです。
このようにして塚原心太郎はどんどんと波に乗り、
スポーツへと傾倒していったのでした。

 

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塚原心太郎の小学校は

塚原心太郎が通う小学校は、
創立してまだ14,5年という小学校です。

 

山梨県昭和町立常永小学校と言います。

2018年現在でこちらの6年生になります。

 

この小学校は、比較的新しい小学校なのですが、
地元でも評判も良く人気の小学校です。

そして学校で塚原心太郎はやはりスターなのです!

2020年のパラリンピックを目指して

2015年には東京で行われた、
車椅子テニスのジュニア部門で
静岡県代表で一人選ばれた
塚原心太郎(当時小3)が準優勝を果たしました。

決勝では惜しくも国技に敗れたものの
準優勝というのは見事な成績です。

 

これには本人も父親の圭司も
とても喜んで満足してたようです。

塚原心太郎は言うまでもなく、
2020年東京オリンピック・パラリンピック出場を目指すとともに、
打倒国技選手を誓っていました。

 

まとめ

塚原心太郎は素晴らしい少年ですね。

事故で下半身の自由が利かなくなっても、
それにめげずに、新たな目標を掲げて生きています。

そして素晴らしい成績を収めています。

 

彼の姿勢から、
私たちがいろんなことを学ばせてもらえます。

めげていたって始まらない。
人生にはいろんなことがある。

 

だから、自分自身を受け入れて
新たな目標を見つけて
前に進んでいこうと、
塚原心太郎が私たちに教えてくれているのだと思います。

 

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