笠井咲(えみ)ってご存知ですか?

笑点でおなじみだった林家こん平の娘なんです。
林家こん平が病に倒れて以来、ずっと看病しているみたいです。

素晴らしい娘さんですね。

でも、若い頃はお父さんのことが大嫌いだったみたいです。
買い手を顧みないで、お酒におぼれていたからです。

でも、今はそんな思いも打ち解けて、仲良くやっているみたいです。

今回はそんな笠井咲(えみ)に迫ってみましょう。

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笠井咲(えみ)プロフィール

1967年生まれ
東京都豊島区出身 
短大卒
B型  
さそり座
趣味 ヒューマンウォッチングドライブ/海外旅行/
特技 バトントワラー/華道(池坊教授)/高コミュニケーション能力とネゴシエーション

一般社団法人 林家こん平事務所 設立(平成26年5月22日)
株式会社 EMIプランニング 設立(平成26年5月27日)

笑点でおなじみの落語家、林家こん平の二女ということで、
子供のころから雑誌やワイドショーなどのテレビ番組にも出演してきました。

しかし短大を卒業後には、政党本部に勤務して、
党首会談や海外賓客の接待などといったお堅い仕事に携わってきました。

政党本部退職後には、医療機関、
アパレル業界や報道機関などの多種多様な仕事をしてきました。

その後にはめでたく結婚して出産します。
その子を育てる一方で介護をしながら、
林家こん平事務所のマネージャーとして活躍の場を広げています。

それ以外にも音楽祭・結婚式・阿波踊り・コンサート等の
各種イベントの司会でその明るい父親譲りのキャラクターを発揮しています。

また、父である林家こん平の介護の経験を基に、
介護に関する講演を大学や難病の会などで行っています。
実際に体験に基づいたものということで、実感の伴う内容に説得力があると好評です。

小学校での落語読み聴かせ活動は4年目となり、好評を博しています。
また2014年にはイベント企画会社を起業し、
これまでの広い人脈を活かして会社の発展のために貢献しています。

笠井咲の結婚と夫について

笠井咲は結婚しましたが、のちに離婚した模様です。
2018年10月2日10時27分のスポーツ報知の記事でも、
介護を行っている一方で、シングルマザーで2人の子供を育てていると書かれています。

また、2人の息子がいて、名前は優一と勝利と言います。

林家こん平に何が起きたか?

日本テレビで行われた「24時間テレビ」に出演した直後に、林家こん平が倒れたのでした。
それは2004年8月22日でした。

弟子から笠井咲のところに、電話がかかってきたのでした。
「師匠が意識もうろうとしている」と大変慌てた様子でした。

林家こん平は妻と息子との3人暮らしでしたが、
妻は1998年に脳出血で倒れ、その後は糖尿病を患っています。
2歳違いの妹と笠井咲が交代で介護をして、
やっと一段落したころに林家こん平が倒れたのです。

その時に病院で見た、車いすに座った林家こん平はまるで別人だったそうです。

先ず右半身が硬直していました。
そして声も出ないこん平は緊急入院することになったのです。

そして翌年の1月には、入院先の大学病院で「多発性硬化症」と診断されました。

多発性硬化症は脳や脊髄の炎症で、症状としては手足がまひする大変な病気です。

それを克服するために、2005年の2月にはリハビリが始まったのでした。

実は林家こん平は元々声帯に異常があったのです。
そのために声を出すときには、
体を大きく動かすことで何とか大声を張り上げていたのでした。
そのために、右半身が硬直したことで
普通の人よりも声を出すことが困難になってしまったのです。

その後は妹や弟子と交代で、誰かが必ず林家こん平の看病をしていました。

そして周囲を困らせたのは、林家こん平の病院嫌いだったのです。
林家こん平はかすれたか細い声で、
「こんな所にいたくない、仕事に行くんだ」と言って駄々をこねたのでした。

そんなこんなで何とか入院生活が終わったのが、2005年5月でした。
でも、それは到底仕事に復帰できるような状態ではなかったのです。

家に戻っこん平は落ち込み口数も極端に減ったのでした。
その頃はテレビで笑点が始まると、悔しさのあまりテレビを消していました。

更なる悲劇が二人を襲う

その後、病状が安定した林家こん平は娘の笠井咲と一緒に、
全国を回る介護講演会の活動を始めました。

ようやく回復してきたのかと思ったのもつかの間、
今度は長年患ってきた糖尿病が悪化したのです。

そのために左足の壊死がどんどん悪化していってしまったのです。
そして2013年には再び入院生活に逆戻りしてしまったのでした。

その頃には心臓もすっかり弱っており、
2013年6月には心肺停止状態にまでなってしまったのでした。

幸い命を取り留めたこん平は、足の指が壊死したために切断しました。
そして2013年10月に何とか退院にまでこぎつけたのでした。

その後は自宅で両親の介護が始まったのです。
そこで笠井咲と妹は役割を決めました。

介護は妹がメインで月~土の朝と昼を担当しました。
笠井咲は月、水、木の夕方と日曜の朝からです。

それ以外にもヘルパーが週3回きて、
在宅のリハビリや訪問看護も頼んでいました。

両親二人共の介護は想像を絶するものでした。

そしてやってもやっても先が見えない日が続いたそうです。

しかし、家族のスクランブル状態での介護の結果、
少しづつ薄皮をはぐように元気を取り戻していったようです。

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やはり落語に救われた!

そして咲はイベント企画会社を設立しました。
その初めての企画が「都電落語会」というものでした。

東京の都電荒川線の車両に高座を設置して、
乗客に落語をみて楽しんでもらうというものでした。

笠井咲は、都電落語会を林家こん平には必ず出てもらおうと思っていました。
とはいえ、久々の落語ということと、
外に長時間出るのは久々のことなので、かなり心配だったようです。

林家こん平は「やるよ!」と元気に答えました。

そしてこん平は着物姿で参加しました。

その後にこん平は驚異的な回復を見せました。

その年の9月には、嬉しいことにトイレにも自分で行けるようになりました。
要介護度が4から3に下がったのです。

その後はみるみる回復して、ベッドから起きて靴を履くこと、
ご飯を食べること、薬を飲むこと、階段の上り下りも全部一人でできるようになっていったのです。

そして精神的にも健康になり、態度も変わってきたのです。

介護に来ると嬉しそうに、ニコニコと迎えてくれるようになったのです。

そして笑点も見られるようになって、
「面白いこと言うね」と笑えるほどに回復したようです。

まとめ

これからの高齢化社会に直面していくこの介護という問題があります。

介護は大変なことです。
しかし、家族の支えがあれば何とか乗り越えていけるのではないでしょうか?

現在笠井咲は自らの介護体験を語る講演に、
父の林家こん平の落語を取り入れて、
介護に追われる人々に笑いを届けています。

介護をしているとどうしても、心に余裕がなくなってきます。

そんな時に一瞬でも笑うことで、救われた気持ちになる人が増えればと思います。

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