本庶佑ってご存知ですか?

ノーベル賞を取ったとってもえらい先生なんです。

免疫チェックポイント阻害剤を発見して、
それをがん治療へそれを応用したことによって
ノーベル生理学・医学賞を2018年に見事受賞したのです。

日本人としての誇りですね!
本当に素晴らしいと思います。

今回は、そんな本庶佑に迫ってみたいと思います。

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本庶佑プロフィール

本庶佑(ほんじょ・たすく)
1942年1月27日生まれ
京都府京都市
山口県立宇部高校卒業
京都大学医学部進学課程修了
京都大学医学部専門課程卒業
京都大学大学院医学研究科修了
2018年ノーベル生理学・医学賞受賞

本庶佑の生い立ち

1942年に京都府京都市で生を受けました。
その後、富山県に移り住みました。
父の実家がある富山市で1945年に、
大空襲に受けて自宅が全焼してしまうという悲劇に襲われます。
これは家族にとって大きなショックだったようです。

そして一家は防空壕に避難しました。
そこに焼夷弾が命中してしまったのです。
これで一巻の終わりかと思ったところ、なんと防空壕の底に水がたまっていたので
焼夷弾は爆発しなかったのでした。
危機一髪のところで命を救われたのでした。

のちに本庶佑は、
「もしあの時、焼夷弾が爆発していたら私はあの時に死んでいたと思う」と言っています。

その後、命からがら、母に抱きかかえながら富山市から、
母の実家がある同じ富山県内の魚津市まで何とか避難しました。

そして終戦を迎えます。

その後は、医師である父が
山口大学医学部教授になったために、山口県宇部市で育ちました。

高校は山口県の宇部高等学校を卒業しました。

そして、学業がとても優秀だった本庶佑は、
京都大学医学部医学科に入学(1960年)、
京都大学医学部医学科を卒業(1966年)したのです。

大学生時代はよき友に恵まれました。
同期の中西重忠などの多くの友人ができた頃でもありました。

さらに、柴谷篤弘の本を読み感動して柴谷にも会いに行ったのでした。

柴谷や医師であった父の勧めで、早石修に師事することになりました。
そして医学科を卒業した後は、京都大学医学部附属病院のインターンになったのでした。

また、大学院在籍中に医師国家試験に合格しました。
その後、1975年に京都大学より医学博士号を取得しています。

本当に素晴らしい経歴ですね!
こういった人がいるというのは、本当に誇りです。

本庶佑の娘や息子や孫

本庶佑には家族がいるようです。

娘と息子がいるのは事実のようです。

本庶佑がアメリカで研究生活を送っていた時に、
家族はみんなで一緒に来ていたようです。

しかし、娘や息子や孫等の情報は一切出てきませんでした。

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本庶佑がノーベル賞を取れた理由

本庶佑がノーベル賞を取れた理由は、
人間が本来持っている免疫力をパワーアップして
病原菌を攻撃して、がんをやっつけるように着目したところにあります。

本庶佑の研究チームが発見したPD-1というものを発見したのが、
ノーベル賞受賞の鍵となったのです。

PD-1は免疫細胞の中にあり、
病原菌への攻撃ストップさせる働きを持つものなのです。

 

免疫細胞の機能として、暴走し過ぎて健康な臓器や神経を攻撃してしまうこともあるので、
PD-1はそうならないようブレーキとして機能しているという一面もあります。

ただ問題なのは、免疫細胞からの攻撃されたがん細胞は、
このPD-1を機能させて攻撃ストップさせることができるというのです。

そこで、本庶佑の研究チームが考えたのは、
もし免疫細胞がストップせずに機能し続ければ、
がん細胞をきちんと攻撃しつづけられるのではないか?という仮説から、
がん細胞がPD-1を使えないようにブロックする免疫薬「ニボルマブ」を開発したのです。

これが今回のノーベル賞受賞の大きな理由なのです。

ニボルマブの驚異の実験結果

そしてこの「ニボルマブ」の臨床試験が行われました。

がん患者にニボルマブを投与したグループと、
抗がん剤だけを投与したグループにに分けました。

1年後の生存率
ニボルマブを投与された患者70%
抗がん剤を投与された患者40%

1年4か月後の生存率
ニボルマブを投与された患者70%
抗がん剤を投与された患者20%

そして、本庶佑は将来はっきりとしたときは分からないけれども、
2030年ごろにガンは単なる持病と呼べるものになるだろうといっています。

そういったノーベル賞の授賞式がこちら

まとめ

文中何度も言っていますが、本庶佑は日本の誇りです。
本当に素晴らしい人を輩出できたことが嬉しくて仕方ありません。

今後も彼の素晴らしい活躍を期待したいと思います。

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