岩城滉一ってかっこよかったですよね!

あのクールス時代は衝撃的でしたね。
あの集団は黒でバシッときめて、ファッショナブルでもありました。

その中でも特に岩城滉一はずば抜けてかっこよかったですね。
舘ひろしと双璧のような感じでクールスの代表をしてかっこよかったです。

ということで、今回は岩城滉一について迫ってみましょう。

 

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岩城滉一のプロフィール

岩城 滉一

いわき こういち

1951年3月21日生まれ

175㎝

A型

配偶者は結城アンナ

元在日韓国人で「李光一」
しかし2017年4月5日に日本に帰化しています。

東京都出身

日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業

帝京大学中退

やっぱりカッコよかったですね!
これなら俳優として絶対に人気が出ます。

そして男っぽくて、渋みのある俳優ですね。

クールスのカッコよさについて

クールスっていうのはとにかくかっこよかったんです。
それはそのファッションとあり方みたいなものでした。

結成当時は人数は21人のメンバーで構成されており、基調とした色は黒でした。
ヘアスタイルは全員リーゼントでした。

黒の革ジャンパー、黒または青のジーンズ、
そして黒のオートバイで統一されています。

黒を基調色とした理由は、舘ひろしが高校生のころ、
ラグビー部のキャプテンをしていて、
ニュージーランド代表のオールブラックスのファンだったからです。

デビュー前は、舘ひろしをリーダーとした硬派バイクチーム
「クールス」に所属しており、副リーダーを務めていました。

そしてクールスのカッコよさの一つに、クールスには血判状があったのです。
それは、「このチームはリーダーである舘ひろしの独裁によって決まる」
というさらに輪をかけてカッコいいものだったのです。

これってちょっとできすぎくらいかっこいいですよね!!
シビれます。

そのクールスはなんと、あの矢沢永吉がリーダーを務めていた
ロックバンド「キャロル」の親衛隊をしていたのです。
そのことがきっかけでクールスは徐々に有名になっていったのでした。

しかもキャロルの解散コンサートのDVDは、
まだ親衛隊をしていた当時の岩城滉一がキャロルとの
出会いや思い出を語るシーンから始まっています。

岩城滉一は音楽には全く興味がなく、
クールスが結成したバンドには参加しませんでした。

そのため、岩城滉一はバイクチームとしてのクールスにのみ参加しました。
そしてバイクチーム時代にはハーレーダビッドソンに乗った姿が雑誌に掲載されて、
その写真を見た東映が70万やるから映画に出ないかと声をかけて俳優としてデビューしたのです。

デビューは1975年(昭和50年)の映画『新幹線大爆破』でした。
そして次の映画『爆発! 暴走族』では主演を務めたのです。

そしてその後は、俳優としてのキャリアを積み重ねていったのでした。

主な作品

『新幹線大爆破』(1975年
『人間の証明』(1977年)
『前略おふくろ様』(1977年)
『北の国から』(1981年)
『抱きしめたい!』(1988年)

岩城滉一はその男っぽいかっこよさから、
女性のみならず、男性からも支持される俳優へとなっていったのでした。

 

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舘ひろしとの42年目の和解

上述したようにクールスが有名になっていった理由は、
キャロルの親衛隊をしていたからでした。

そしてその存在にさらなる光が当たったのが1975年4月13日に行われた、
「キャロル」の解散コンサートだったのです。

そこで大きく注目されたクールスは、初めは舘ひろしが乗り気ではなかったものの、
レコード会社から声をかけられてロックバンドとしてデビューすることになったのです。

ただ、このあたりで副リーダーであった岩城滉一と
リーダーだった舘ひろしとの間に亀裂が生まれてしまったのです。

その当時岩城滉一は既に役者として東映から映画デビューが決まっていために、
東映に対して、何とか他のメンバーも東映に入れないかと頼んでいたのです。

しかし、一方のリーダーであった舘ひろしの考えは、
もしバンドもや映画もとなると、メンバーに驕りができて、
このクールスというチームは絶対にまとまらなくなると思ったのです。

だからその時点ではバンドはやるけど、映画は遠慮すると東映に対して断りを入れたのです。

ただ、これは東映に頼み込んでいた岩城滉一にとっては、
自分がせっかく東映に頼んだのにどうして、ということになったのです。

こういったことが原因で2人の間には溝が生まれていったのでした。

そして俳優として成功していき、そちらで忙しくなった岩城はクールスを脱退して、
舘ひろしも俳優業に専念するために1977年4月にクールスを脱退しましたのです。

それ以降もクールスは存続したのですが、
初期の創設メンバーはほとんどバラバラになってしまったのでした。

それからは時が経っても最初のメンバーで集まったことは何度もありました。

血判状まで交わした間柄なので、何年ぶりであっても顔を合わせるとすぐに
タイムスリップしたように仲間に戻れるのです。

でも、他のメンバーたちは舘と岩城を一緒に呼ぶことはなかったのです。

彼らは全員2人の間の亀裂を知っていたので、呼ばなかったのです。
それから長い年月が経っても、二人の関係はずっとぎくしゃくしたままでした。

しかし、42年の時を超えて岩城滉一と舘ひろしの二人が分かち合える時がまたやってきたのです。

それは、奇しくもクールスの創設メンバーだったマチャミのお通夜でした。

その通夜はあたかもクールス全員が顔をそろえて、まるで再結成のようだったのです。
17人のあの血判状を交わしたメンバーがほとんど全員集まったのでした。

そしてこの時、二人は肩を抱き合い、涙を流して親友であるマチャミの死を悲しんだのでした。
実は岩城と舘が仲たがいして、オリジナルのクールスが分裂してしまったことを
一番悲しんでいたのはマチャミだったと言われています。

そしてあたかもそのクールスをマチャミが一つにまとめたような感じだったそうです。

こうして42年という長い時を超えて、二人はは再び分かり合えて、
あのオリジナルのクールスがもとに戻った瞬間だったのでした。

まとめ

岩城滉一って渋い男です。

カッコいいし、内面も素晴らしい男なんでしょうね。
だからこそ俳優としてこれだけの人気を保っていられるのだと思います。

ということは、これからもっともっと飛躍してくれるかもしれません。

これからの岩城滉一にさらに期待していきましょう!

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