飛び出せ青春って素晴らしいドラマでしたよね!

リアルタイムで見て感動したと言いう人もいるし、
再放送でのその素晴らしさを知ったという人もいると思います。

とにかく、昭和を代表する学園ドラマであったことは確かです。

今回はそんな飛び出せ青春に迫ってみたいと思います。

 

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飛び出せ青春

 

このドラマの主演者村野武範で、
1972年2月から1972年2月という長い期間にわたって放送されたドラマでした。

「青春とは何だ」を起点とする青春学園シリーズです。

 

主なキャスト

村野武範
酒井和歌子
穂積隆信
柳生博
頭師佳孝
保積ぺぺ
有島一郎

錚々たるメンバーが名を連ねていましたね!
あの素晴らしいドラマは、こういった面々がいるからこそできていたのだと思います。

 

ストーリー

この太陽学園高校の方針は「来る者は拒まない」でした。
そこで無試験入学というユニークな制度を採用していたために、
この学校には日本全国から落ちこぼれの生徒が集まっていました。

 

その中でも特にサッカー部は落ちこぼれ生徒の集まりだったのです。

そして新任教師・河野武は、赴任して来て
早々にトラブルを起こして、教頭から疎んじられる存在になったのです。
そのためにあのサッカー部の顧問を押し付けられてしまったのです。

 

しかし、河野は元々がチャレンジ精神旺盛な性格で、
同僚教師である本倉明子のサポートを得て、
サッカー部や学園の生徒たちに自分の熱い想いを伝えて、
生徒と一緒になって成長していくというものだったのです。

 

「レッツ・ビギン Let's begin!」がこのドラマのテーマ&合言葉で、
またそれが放送第一回のタイトルでもあったのです。

 

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主題歌『太陽がくれた季節』が大ヒット!

このドラマをさらに引き立てたのが、主題歌でした。
あの曲は本当に素晴らしく、耳に残るフレーズでした。

 

青い三角定規というグループの『太陽がくれた季節』です。

 

 

このドラマに関しては、主題歌との相互作用がかなりあったようにも思われます。
『太陽がくれた季節』を聞くとこのドラマを思い出して、
このドラマを見ると『太陽がくれた季節』を思い出すという素晴らしい相互作用です。

この曲は1972年に日本コロムビアからシングルとして発売されて、
売り上げが80万枚とも100万枚とも言われています。

 

ちなみのこのジャケットの衣装はISSEI MIYAKEのものでした。

青い三角定規はこの曲で1972年のレコード大賞の新人賞を受賞して、
第23回の紅白歌合戦にも出場を果たしました。

 

青い三角定規は女性1名と男性2名で、
メインボーカルは西口久美子なのですが、紅白には白組として出場しました。

 

また、この曲は小学校や中学校の音楽の教科書にも載っており、
世代を超えて多くの人々から歌い継がれている名曲です。

ドラマのロケ地に関して

あのドラマのぶたいであった太陽学園のロケ地は、
山梨県上野原市にある日本大学明誠高等学校でした。

飛び出せ青春は大人気ドラマということで、
撮影が行われていた休日ともなると、多くの人々が撮影を見学するために殺到していました。

それ以外の撮影も、ほとんどは日本大学明誠高等学校の周辺で行われていました。

 

また、何度も劇中に登場する東山駅は
上野原の隣にある四方津駅となっており、その面影を今も残しています。

電車の到着シーンや駅のホームでのシーンやは、
四方津駅と上野原駅との両方で撮影されています。

 

また、海辺のシーンの撮影は、静岡県伊豆の下田海岸でした。

 

 

それから、この舞台となった太陽学園には、本当に入学したいという問い合わせも多かったと言います。
また、太陽学園という設定は次のシリーズとなった『われら青春!』にもそのまま受け継がれており、
主なキャスト達は引き続き出演していました。

 

まとめ

飛び出せ青春は本当に素晴らしいドラマでしたね!

何度見ても引き込まれてしまう魅力があります。
そして主題歌の太陽がくれた季節』も最高でした。

これだけ、主題歌とドラマが相まって素晴らしいものになったケースも稀かもしれません。
飛び出せ青春は永遠です!!

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