山崎洋子はあの沢村貞子の元マネージャーです。
2018年11月30日の『徹子の部屋』に出演されます。
沢村貞子についての本を書かれています。
そんな、山崎洋子はどんな人生を送ってきたのでしょうか?
今回は、山崎洋子について迫ってみたいと思います。
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山崎洋子のプロフィール
沢村貞子も元マネージャー
昭和32年頃から沢村貞子が女優を引退するまでマネージャーを勤める(三十数年間)
沢村貞子の勧めで山崎洋子事務所を設立
沢村貞子の最期を最も近くで看取る
平成5年に東京西麻布に秋田料理のレストランを開店
山崎洋子(沢村貞子 元マネージャー)
11/30(金) 徹子の部屋 https://t.co/CMllJ32PDH
生誕110年…今も輝く沢村貞子の魅力
・47年前に2人が共演したドラマの映像
・27年間日々の食事や出来事を綴った“献立日記"を公開
・沢村さんの着物や愛用の櫛等
浅草生まれ“下町女"の気骨を示した沢村さんを偲ぶ。 pic.twitter.com/71OSWG8Jgi— 銀幕スタア(邦画)TV出演情報 (@houganojidai) 2018年11月23日
山崎洋子事務所について
山崎洋子は企業家、実業家としてもかなりやり手だったようです。
芸能界でも有名な敏腕マネージャーでした。
そこで、沢村貞子に勧められて山崎洋子事務所を設立したのです。
この事務所には沢村貞子と社長の山崎洋子を慕い、
多くの芸能人が所属していました。
主な所属芸能人
飯田蝶子、江原真二郎、寺田農、 |
誰もが知るビッグネームばかりですね!
さすが沢村貞子に勧められて事務所を設立しただけありますね。
この事務所は事務所全体のマネージメント力が突出していたとから、
売れっ子の俳優やタレントを次々と輩出していきました。
事務所も隆盛を極めてかなりの収入になっていました。
沢村貞子のマネージャーをしながら培った、
素晴らしいマネージメント力は事務所を起こしてからも役に立ったようです。
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山崎洋子著書『沢村貞子という人』
30年以上も沢村貞子のマネージャーとして活躍してきた、
山崎洋子にしか書けない内容の本です。
最期に沢村貞子を看取った瞬間まで書かれた内容は圧巻です。
じつはこの本は、エッセイストの賞を受賞した沢村貞子から、
書くことを勧められただけあって、文章も流れるような素晴らしいものです。
そしてなによりも、沢村貞子に対する深い愛情から書かれた内容が印象的です。
沢村貞子は与えられた役と人間性がかなり一致していたようです。
ちょっとおせっかいで、お人好し。
そしてちゃきちゃきの江戸っ子で、潔いのです。
そして沢村貞子がどうやって美しく老いていったのかが書かれています。
山崎洋子によると、沢村貞子の晩年は何とも言えない
内面からくる凛とした美しさがあったようです。
そして最期は潔く、夫婦の骨を相模湾に「散骨」してこの本が終わりました。
山崎洋子の秋田料理店『鹿角(かづの)』
山崎洋子は故郷の鹿角の料理を供する店として1993年(平成)、
東京都港区西麻布に開店して、現在も大盛況のお店です。
秋田から比内地鶏、茸類、野菜を取り寄せるというこだわりぶり。
このお店のきりたんぽは、実に感動的であると言われています。
その秘密は全てが手作り。
あきたこまちを、とぎ汁が透き通るまで研ぎます。
それを炊いらご飯の香りは香ばしい。
写真出典元 PRESIDENT ONLINE https://president.jp/articles/-/9550?page=2
炊きあがったご飯を潰してこねてから、
一つ一つ棒に巻きつけるという全ての作業を手作りで行います。
こうしてできたきりたんぽは絶品です!
また、大根を麹で漬けられた「なた割漬」を食べれば、
秋田の大自然が目に浮かんできます。
そしてお酒は地元の新政(あらまさ)か、
高清水(たかしみず)を合わせれば、まるで秋田にでもいるかのような気分に。
このこだわりが『鹿角(かづの)』の人気を支えてきた理由です。
鹿角(かづの)
東京都港区西麻布1-15-16 SDビル1F |
まとめ
山崎洋子って素晴らしい人ですね!
彼女が人生で成功できたわけは、
手を抜かないこだわりにあるように思います。
それが彼女の秋田料理店から伺うことができます。
きっとその手を抜かないこだわりが、
昭和の名優、沢村貞子に認められたのだと思います。
だから沢村んの最期を看取るまで信頼されたのでしょう。
そういった部分からも山崎洋子の人としての、
裏表がない人間性を感じ取ることができます。
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